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釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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 宮古市に単身赴任していた学生時代の友人、M葉クンの安否がようやく確認できた。

 大学時代4年間、同じクラス、同じゼミだった。バイトを紹介してもらった事もある。大学卒業後、彼は郷里の岩手に帰り、教員として奉職していた。一昨年、宮古市に転勤となり単身赴任。年賀状には「独身生活を満喫している(笑)」と書いてあった。彼の名を安否情報で検索しても出てこない。絶望的だと思っていた。

 盛岡の自宅に電話が通じ、奥様から宮古市の避難所で ”無事に働いている” と……。奥様が安否を確認できたのも先週の事で、衛星電話で連絡があったそうだ。よかった。本当によかった。思わず涙が出ましたよ、ってお話です。

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 3月1日から始まった闘病生活第八ラウンド、抗ガン剤治療第五クールは流石にキツかった……。5日間の集中投与でドドーンと副作用が出てきた。

 ・3月1日、制吐剤点滴後、ペプシド、シスプラチン投与。
 ・3月2日、制吐剤点滴後、ペプシド、シスプラチン、ブレオマイシン投与。
 ・3月3日、制吐剤点滴後、ペプシド、シスプラチン投与。
 ・3月4日、制吐剤点滴後、ペプシド、シスプラチン投与。
 ・3月5日、制吐剤点滴後、ペプシド、シスプラチン投与。

 二日目の3月2日から、食事どころか水さえも飲みたくない状態になってしまった。なんとか口から栄養分を摂らねばと、トマトジースと野菜ジュースを無理矢理飲んでいた。もちろんベッドから降りるのはトイレに行く時だけ。ベッド上で身体を起こす気力さえも無くなってしまった。

 食事が摂れない状態なので、5日間の集中投与を終えた3月5日夕方から、持続栄養点滴ビーフリード(ブドウ糖点滴)の24時間点滴を受ける事に。この持続栄養点滴が曲者で、水分も栄養分も点滴で強制的に体内に送り込むので、飲まず食わずでいられる。性根が怠け者の自分などは、ますます飲み食いしたくなくなってしまう。ベッドの上でテレビをボンヤリ眺め、時折ネットを覗くだけ。それ以外の時間はトロトロと眠って過ごしていた。

 3月9日、本来ならブレオマイシンの追加投与の予定だったが、ダメージが大きすぎるので休薬する事に。3月10日、身体の臭いが耐え難くなってきた。蒸しタオルで身体を拭ってはいても、なにしろ10日以上お風呂に入っていない。嗅覚がおかしくなっているとは言え、イヤな臭い、キライな臭いには超敏感になっているので、ストレスで苛立ってくる。一時で良いから点滴を抜き、お風呂に入らせて欲しいと看護師さんに頼み込み、主治医のN尾先生の了承の上で点滴を抜いてもらった。早速、ベッドから降りて病棟内を散歩してみる。――ッ! ふくらはぎもスネも太腿もお尻も筋肉が落ち、真っ直ぐに歩けない! 足が萎えて自力歩行が困難になってしまっていた。それでも元気を出すためにシャワー入浴。

 熱めのシャワーを浴び、入浴介助用の椅子に腰掛けて、石けんでガシゴシと身体を洗う。ギモヂイイ~。が、椅子から立ち上がった途端に立ちくらみ。入浴を終えて身体を拭っていても、クラクラして脱衣場でしゃがみ込んでしまう。クソッ! たかが入浴でこの様かよ。それでもサッパリしたが、いきなり入浴はチョット無理しちゃったか……。自分の病室に戻り、ベッドで横になると心地良い眠気に誘われ、看護師さんが夕刻のバイタルを取りに来るまでグッスリとお昼寝。

 この入浴が効いた。空腹感は感じないが、家内に作ってもらった小さなオニギリを口にしてみると食べられる。しめた! 口からモノが食えるから、持続栄養点滴を中止してもらえないかと相談してみる。N尾先生からOKが出た。翌11日にはお餅を焼いて持ってきてもらい、食べてみると美味しく感じた。12日のお昼には焼き芋も食べられた。しかし、味覚が狂ってしまっているので、美味しいから食べられる、のではなく、気持ち悪くならないモノだけを選んで口に入れているだけ。

 食べられるか食べられないかは、味や匂いよりも食感で分かれている。パンや揚げ物の衣はアウト。お豆腐や油揚げもアウト。野菜類も茹でたほうれん草や白菜もダメ。肉類はステーキはOKだが、ハンバーグはダメ。白米と麺類はOKだが、チャーハンなどはダメ。もう食べてみないと何がOKで何がアウトなのわからない状態。好物だった餃子や麻婆豆腐などがアウトになったのはショックだった。

 とは言え、いくらかでも口からモノが食えるだけで違う。もう点滴はイヤなのだよ、ってお話なんだが、この3月11日が未曾有の大災害、戦後最大の国難の日となろうとは夢にも思わなかった……。

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 かなり楽になってきた。少しは散歩もできるようになった♪

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 一昨日、入稿を済ませた[磯・投げ情報]の連載記事なんだが、ウッカリして下書き原稿を送信してしまっていた。未完成の原稿なんだから、ネーム量(文字数)が3割ほど足りない。編集長から 「今回はネーム量が少ないので、写真を多めに使用します」 とのメールを頂いて、「ネーム量が足りない? いつもより多目の1千字以上あるはず……」 と、送信した原稿を確認してみたら、下書き原稿を送っていたという大ポカ。う~む、常時軽い船酔い状態で注意力散漫になっていたようだ。いかんなァ。

 完成原稿と差し替えてもらうべく、念のため完成原稿を再推敲。待てよ、この内容だったら江戸小咄を引用したほうが面白いンじゃないか……。江戸小咄や古典落語などは、著作権はとっくにフリーになっている。念のため出典元を明記しておけば問題なし。早速、その小咄を引用……、ってアレ? どこで読んだのやら思い出せない。いや、もしかしたらNHKの「日本の話芸」で見たのかも知れないし、落語のCDで聞いたのかもしれない。ストーリーは江戸前のボラ釣りに出た釣り人が、船頭に去年よく釣れたポイントと違うんじゃないか、ってな話をするって内容。必死に記憶の糸を辿り、噺家の名前と小咄のタイトルを思い出す事から始めた。志ん生? 志ん朝? 米朝? 金馬? あぁ、金馬だ、三代目三遊亭金馬師匠だよ。噺家が思い出せたら、すべて思い出せた。そうそう、愛読書の 「江戸前つり師<釣ってから食べるまで>」(徳間文庫) に載っていた、『きょねんの穴』って小咄だ! 病室の棚から 「江戸前つり師」 を引っ張り出し、小咄部分を引用して書き直し。うん、なかなか面白い記事になった。

 抗ガン剤治療第五クール初日、さしたる副作用も出ずに乗り切る事が出来たし、うっかりミスの不覚はとったが雪辱のチャンスを得ましたよ、ってお話でした。下手を打っても、プロの売文屋はこうでなくっちゃね(笑)。

 I 田編集長、お手数をお掛けして申し訳ありませんでした……。

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 釣り情報誌 「磯・投げ情報」 の連載記事 「磯・投げタイムトンネル・第十二回」 の原稿と、ムニャムニャの原稿を仕上げて入稿を終えた……。抗ガン剤の副作用で、常時軽い船酔い状態のような不快感と、嗅覚・味覚の鈍りで食事が楽しめないストレスに悩まされちゃいるが、プロの売文屋としちゃぁですね、こんな程度の事で筆を休ませるような事ァいたしゃしません。多少気分が優れなくとも、オツムは無理矢理にでも回転させるよう、長年の鍛錬ってモンが出来てっかンね。

 しかしなァ、徐々に抗ガン剤治療の副作用がキツク出始めてきてて、明日から予定されている第五クールで、どんだけキツクなるのかチョイとばかし不安……。なんつったって味覚が鈍ってしまい、食事が楽しめないのはツライ。酢豚や麻婆豆腐や餃子や叉焼、食材だと牛肉、パン、油揚げ、お豆腐などが食べられなくなってしまった。大好きだったモノが気持ち悪く感じて、食べられなくなってしまう悲しさったらない。

 それでも原稿は書ける。今までもどんなに体調が悪くても、入稿期限に遅れた事は無い。これからもかくあるべく奮闘努力、日々精進いたしますので、物書きが必要な方は、安心してお任せくださいね、ってお話でした。

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 昨日はお見舞いに来てくださる方が続いた。お昼に病院のレストランで、「体調が悪そうだったから、病室までお見舞いに行こうか迷ってた」 と言う入院仲間だったH川さんに出会い、3時にJOFI愛知のO田代表がお見舞いに来てくださり、夕刻には大阪から名古屋に出張していたイトーチャンが立ち寄ってくれた。

 抗ガン剤治療第四クール、半月の寝たきり生活のおかげですっかり体力が落ちてしまい、特に下半身と体幹が萎えてしまっているのと、他の患者さんに比べれば軽いとは言え、耳鳴り、難聴、頭痛、食欲不振、吐き気、のぼせ、急な発汗などの不快症状に悩まされていたし、そんな中で確定申告はせにゃならん、連載の原稿は書かにゃならん、ムニャムニャの原稿も引き受けてしまったので仕上げにゃならん、ってな状況なので、ブログやmixi日記の更新が滞っていたワケです。

 休薬期間に入って10日。少しずつながら、体力や元気を取り戻しているので、ご心配には及びません。お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください、なんてーと引っ越しのご挨拶みたいなんだが、ご心配を掛けてしまって誠に申し訳なく、恐縮至極です。

 来週月曜日、28日から抗ガン剤治療第五クールの予定。徐々に副作用がきつく出始めたので、チョイとばかしビビってます(笑)。なにしろ嗅覚がほとんど無くなってしまったくせに、嫌いな臭いには敏感になり、味覚も鈍り狂った状態で食事が何を食べても美味しくない。大好きだった肉類も受け付けなくなってしまい、つまんねーったらありゃしねー!

 てなワケで、お見舞いにお越しの際は、差し入れ手土産などのお気遣いは無用ですよ、ってお話です。

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 抗ガン剤治療第四クール期間(1月30日補液開始~2月1日抗ガン剤5日間集中投与~2月9日追加投与~2月10日抜針~2月12日安静解除)の2週間で、すっかり足が萎えてしまった。ふくらはぎや太腿はもちろんの事、お尻の筋肉も落ちてしまい、しゃがみ込んだら反動をつけないと立ち上がれないほど萎えた。これじゃライダーキックどころじゃないね(笑)。

 今月末頃の第五クール開始までに、少しでも下半身の筋力を回復させておかないと、このまま足萎えになってしまい、車椅子生活になりかねない。昨日、雪が降り出す前に少し歩いてみたのだが、2000歩で息が上がり、膝が笑い始めてしまった。距離にしておよそ1.5km。ヤバイなァ。今日も昼食後に歩いてみたが、3000歩で足が棒のようになってしまった。わずか半月、寝たきり生活だっただけで、ここまで弱体化するとは思いも寄らなかった。

 ともあれ、抗ガン剤治療は体力勝負なので、副作用でツライ思いをしたくなければ、ある程度の運動をして体力を維持し、しっかりと食ってスタミナを付けておく必要がある。味覚や嗅覚がおかしくなり、空腹感は感じないが、食べようと思えば食べられるから、スタミナは大丈夫だろう。毎日の歩行距離を少しずつ伸ばして、一日4000歩~5000歩を歩けるようにならねばなりませんね、ってお話でした。

 まぁね、末期ガン患者が筋力が落ちただの、足が萎えただのを、気にする方がおかしいのかもしれん……。

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 三月っつーても 「さんがつ」 じゃなくって、三ヶ月の 「みつき」 ッちゅー事なんだが、虫垂ガン・左背筋内肉腫・&肺ガンの転移による再入院したのが11月8日なので、今日で再入院から丸3ヶ月になる。11月10日に虫垂ガンと左睾丸の摘出、11月17日から抗ガン剤による全身治療開始、12月14日には右脳前頭葉に見つかった転移性脳腫瘍放射線治療ガンマナイフ手術と、次々と襲ってくるガンと休む間もなく闘い続けてきている気がする。

 さすがに抗ガン剤治療第四クール目になり、ダメージが蓄積してきた様子で、少々しんどくなってきた。まぁ、それでも激しい副作用ではなく、食欲不振や軽い吐き気、耳鳴り、頭痛、難聴気味ってな程度で済んでいるのは、生への執着に満ち溢れた肉体と精神のおかげだろう。もちろん、医療スタッフの皆さんのお力添え、家族の献身的な介護、それと、遠路お見舞いに駆け付けてくれた皆さん、幾度となく様子を見に来てくださる皆さん、メールや電話で励ましてくださる皆さん、ネットで声援メッセージやコメントを送ってくださる皆さんもあってこそ、こうしてPCに向かっていられるンだと、あらためて感謝の思いを深めてますよ、ってお話でした。

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 ちょっと抗ガン剤治療による倦怠感がキツくなってきた……。首や背中、腰などの痛みを伴った張りや凝り、立ちくらみに似ためまいなど、さすがに第四クールともなるとダメージが出てくるようだ。

 味覚もおかしいままで、チョコレートは無塩バターを舐めているようで美味しくないンだが、ココアを飲むと美味しい。ポテチを食べても塩気を感じないのに、うどんやラーメンおつゆは美味しい。プリンは美味しくないのに、ヨーグルトは美味しい。もう、自分の好みが変わってしまったのか、舌の感覚がおかしくなっているのか、めちゃくちゃなのに、美味い不味いだけはわかるってンだから、どんだけワガママなんだよ、ってお話でした。

 しばらくは長文の書き込みが出来ないかも知れないので、ツイッターをご覧ください。
【ツイッターアカウント】 http://twitter.com/minchoh

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 闘病生活第七ラウンド、抗ガン剤治療第四クール初日。午前11時30分に物見隊の制吐剤(デカドロン&ナゼア)が出陣。11時55分、先陣のペプシド隊が出撃。戦闘時間は半刻(1時間)。ふむ、軽い耳鳴りは相変わらずだが、気分が悪くなる事もなくペプシドの投与は完了。続いて14時30分から本隊シスプラチン隊が出撃。一刻(2時間)の戦闘時間の間も、ウトウトと居眠りしてしまうほどの余裕。

 以前にも書いたが、抗ガン剤治療は治療開始直後から血圧と酸素摂取量、点滴針を刺した位置の異常の有無(=液漏れの有無)、患者のアレルギー反応などを、0分、5分、10分、15分、30分、60分毎にチェックし記録していく。ガンという生きた細胞を破壊して殺す劇薬だから、正常な細胞も大なり小なりのダメージを負う。時にはショック症状を起こして、死に至る事だってある。薬液が漏れただけでも、抗ガン剤が滲んだ部分の組織は壊死してしまう。そうなると外科的に手術して抉り取るしかない。だから厳重な監視の下で、投与は医師でなければ出来ず、看護師が抗ガン剤を投与する事は許されていない。

拘束 で、抗ガン剤治療中はベッド上で安静にして、動かないようにしていなければならないのだが、点滴針を刺した場所によっては、寝返りや腕の重みで薬液がきちんと投与できない場合がある。そこで、居眠りをしても腕が動かないように、ベッドの柵に手首を縛り付けて拘束しておいた。これなら無意識に点滴のルート(=管)が下敷きになってしまう事はないし、点滴針の刺さった部位が圧迫される事もない。

 が、この程度の理由で ”患者の身体拘束” は許されていない。患者自身が自分の意志で、自分自身の手によって拘束するのならOKだが、それを手伝う事も認められていない。片手で日本手拭いを使って、ベッドの柵に腕を縛り付けるのは、面倒くさいったらありゃしない。断られるのを承知で、看護師さんに、「チョットだけ手伝ってよ」 と声を掛けてみたら、案の定、「ダメです。法律違反になっちゃうから、全部ご自分でやってください」 と断られてしまった。むぅ~、優秀な看護師さんだ……。こういう融通が利いてはいけないのだ。規則は規則、ルールはルール。厳格に守る事が徹底されていてこそ、良い教育が徹底されている、良い病院なのですね、ってお話です。

 しかしまぁ、ニコリともせずに 「ダメなモノはダメ!」 と、ビシッと言い切れる看護師さんってなぁ、カッコイイね。なんつったって、彼女達は自分の子供世代の20代。20代で自分の年齢の何倍も上の人の要望をハッキリと断り、時には叱責までできる胆力には驚いてしまいますな。やっぱり ”命の現場” に立つ人間は、気概や気組みからして徹底して鍛え上げられてンね。

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プロフィール
HN:
YASU ・居眠釣四郎・眠釣
性別:
男性
自己紹介:
釣りと動物と時代劇、時代小説をこよなく愛する、腰は低いが頭が高い、現代版「無頼浪人」にて候。
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