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釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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 当方は40代の釣りオヤジ。どう考えても、見知らぬ10代や20代前半の若者達と親しく話の出来る存在ではない。こちらも気恥ずかしいし、相手方も突然話しかけられたら訝しむだろう。そこで「釣りは世代を超えて人の心を捉える魅力あるレジャーなのか?」を試す実験をしてみた。きっかけは愛知県常滑市の多屋海岸で、小学生の女の子二人組に「おじさん、釣りって面白い?」と声を掛けられた事。突然の事で戸惑ってしまったが、「楽しいよ」と答えて竿を握らせ、釣れた魚を持たせてあげると、二人が大喜びしたからだ。

 そこで、愛知県美浜町の浜辺で19歳の女子大生二人組に「釣りしてみたい?」と声を掛けてみた。答は声を揃えて「やってみたーい!」。当日は潮が引いてしまって釣りにならなくなっていたため、後日、サヨリ釣り、ハゼ釣りと経験させてあげたが、二人とも釣りの楽しさに夢中になるとともに、身近な伊勢湾の豊かさに驚いていた。

young 次に試みたのは、タトゥー(入れ墨)を入れた強面の雰囲気プンプンの青年2人と、肌の露出も多く、派手目のメイクのお嬢さん3人という、街中だったら目を合わせるのも憚ってしまいそうな、いわゆる"渋谷系"の若者5人組。「やぁ、若い衆。ちょっと釣りをしてみんかね?」と声を掛けてみた。「あ、俺はガキん時にやった事ある」。「あぁ、バス釣りならやった事あるけど、投げ釣りは初めてだな」。「え~、マジで? 釣りなんてやった事ないしィ~」。「アタシやってみたいかも」。「おじさんが餌付けてくれるならやりたい」。結果は……、左の写真の通り。見知らぬ釣りオヤジに声を掛けられ、生まれて初めて釣り竿を持ち、そして自分で魚を釣った彼女たちの輝くような笑顔と歓声。海辺で楽しむという共通目的を持った交流が成立した瞬間だ。別れ際に彼等が笑顔で発した言葉は、「おじさん、ありがとうございました」。そして、丁寧にお辞儀までしてくれた。

 海は人の心に開放感をもたらし、世代や性別を超えて交流を促してくれる。なぜか? 海辺では波の音、潮風でボソボソと話していたのでは会話が成立しづらい。いつもよりも大きな声で、ハッキリと話をしなければならない。いきおい、表情も豊かになり、相手の感情や想いが読み取りやすくなるからだろう。これは都会や市街地の騒音のように、不快な音の中での大声と違って、潮騒や潮風は爽快感を伴っているからこそ。しかし、心を開いただけではシャイな現代人には足りない。会話のきっかけとなるツールが必要なのだ。そのツールとして、年齢、性別、体力の有無を問わず、多額の初期投資の必要もなく、誰もが楽しめる水辺のレジャーとして釣りは最適なのだ。

-「波となぎさ」'05年8月31日発刊 164号 掲載稿より抜粋・加筆-

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 ♪海は広いな~ 大きいな~
  月が昇るし 日が沈む~ 
  海は大なみ~ 青いなみ~
  ゆれてどこまで つづくやら~
  海にお船を 浮かばして~
  行ってみたいな よその国~♪
(「うみ」作詞:林柳波 作曲:井上武士)

 ♪我は海の子 白波の~
  騒ぐ磯辺の 松原に~
  煙たなびく 苫屋こそ~
  我が懐かしき住処なれ~♪
(「われは海の子」作詞:宮原晃一郎 作曲:不詳)

 ♪松原遠く~ 消ゆるところ~
  白帆の影は浮ぶ~
  干網浜に高くして~
  鴎は低く波に飛ぶ~
  見よ昼の海~ 見よ昼の海~♪
(「海」作詞作曲:不詳)

 ほとんどの日本人は心の原風景として、「海」と言えば「白砂青松」あるいは「青い海、白い雲、緑の松原、白い砂浜、打ち寄せる波、磯の香り、囁く潮騒、頬を撫でる潮風」などを思い浮かべるだろう。

 私は釣り好きで、愛知県知多半島の海辺によく出掛けるのだが、釣り場で知り合った地元のご隠居さんに、「なぁ、おみゃーさん。せゃーきん、海で遊んどる子どもンたぁが全然おれせんの、気付いとりゃーした?(標準語訳:ねぇ、君。最近、海で遊んでいる子どもたちが全然いない事に、気付いていたかね?)」と、問いかけられた。周囲を見回すと、確かに中高年のオヤジばかりで、海辺で遊んでいる子どもがいない。潮干狩り、海水浴、釣りと、海辺は子どもたちの格好の遊び場だったはずだ。はて、こうなると「月が昇り、日が沈む海」、「松原、砂浜、磯の香」を実際に体験している子どもは、どれだけいるのだろう? 昨年の産経新聞の調査では、日の出や日の入りを見た事のない小中学生が過半数、という結果が出ている。都市部の海岸はコンクリートで固められた護岸が続き、地方の海岸でも消波ブロックが積まれている。見渡してみれば、煙たなびかせているのは苫屋ではなく、紅白に塗られた工場や発電所の煙突だ。海岸沿いの道路や公園も松ではなく、フェニックスなどの植栽が施された、ハワイかアメリカ西海岸風に造られ、横文字カタカナで名付けられた通りが多くなっている。「海辺の保養地」と言えば「松に砂浜」のイメージだが、「マリンリゾート」となると「ヤシに白い大理石」となる。どちらが日本の気候風土にマッチしているかは言うまでもないが、観光開発の主流は洋風。

 ある海辺のカフェのマスターが、「観光開発の企画を担当している世代はウェストコーストに憧れた世代。開発や予算を承認する議会の議員さんの多くはハワイに憧れた世代。地中海ブームもありましたし、どうしたって洋風の造り、横文字の名称になりますね。ウチもご多分に漏れず……」と話してくれた。苦笑混じりに、「羽衣の松がフェアリーケープのパインツリーとか、お宮の松がカンチー&ミーヤのグッバイプレース、なんて呼ばれたらイヤだねェ」と冗談を口にしたら、「なんですか、それ?」と聞き返されてしまった。三十代前半と思しきマスターは、三保の松原の「羽衣伝説」も、熱海の海岸散歩する貫一・お宮(「金色夜叉」尾崎紅葉)もご存じなかった。天女が月の舞いを見せなくなったのも、むべなるかな。貫一は別の意味の涙で、110年目の2007年1月17日の月を曇らせてしまいそうだ。

 このように、日本人の海に関する原風景は、冒頭に記した童謡・唱歌によって、イメージが刷り込まれているだけになりつつある。あまりに海辺の景色が変わりすぎてしまうと、これらの童謡・唱歌も、いずれは「村の鍛冶屋」のように、時代にそぐわない曲として音楽の教科書から消えてしまうかもしれない。

 とはいえ、国土保全、防災、観光開発による地域振興は欠かせないし、時代によって生活様式も嗜好も変わるのだから、ノスタルジックな思いに浸ってボヤいていても仕方がない。私たちが時代に合わせて、海の美しさや魅力を知り、感じ取っていけばよいのだ。仕事に追われて休日くらいは家でユックリしたい気持ちもわかるが、塾通いで忙しく、遊びはもっぱらゲーム、という子どもさんと一緒に海辺に出掛け、 "何もせず、ただボンヤリと海を眺めて過ごす贅沢な時間" を味わってみていただきたい。できれば童謡・唱歌を口ずさみながら。それでは物足りないという、忙しいのが好きな現代っ子ファミリーには、釣りもおすすめだ。コンクリート護岸であろうが、煙突やクレーンがひしめき合って立っていようが、海と空は神々しいまでに美しく、潮風は清々しい。そして、都市部の海にも魚たちは逞しく生きている。ハゼ、カレイ、アナゴ、スズキ、クロダイは東京湾、伊勢湾、大阪湾奥部の大都市圏の岸壁からも釣れるし、車や電車で一時間ほど走れば、アオリイカ、ヒラメ、マゴチといった高級魚だって陸から釣れる。思った以上に、我らが日本の海は豊穣なのだ。

-「波となぎさ」'06年6月30日発刊 168号 掲載稿より抜粋・加筆-

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 「自立する四国」への挑戦。井原教授のインタビュー記事と土井教授の記事を、"外来語辞典を傍らにおいて" 読んだ。両教授とも素晴らしい提言をされているのだが、「地域住民の理解と友好的協力が必要」と述べられているにしては、"一般市民には理解出来ない外来語" を多用しすぎておられる。月刊港湾が一般誌ではないのを差し引いても、日本語で充分に表現できる言葉まで、わざわざ外来語にする必要はなかろう。どうしても外来語での表記が必要ならば、編集段階で注釈を付けておくべきだ。

 さて、学生時代に四国(愛媛)出身の友人が、「大学を卒業しても、四国に戻る事はないなぁ。なにしろ四国じゃ仕事がない。お大師様(空海)も龍馬も四国出身だが、活躍の場は四国じゃなかったし……」と呟いていたのを思い出した。彼は郷里の四国を愛してはいたが、活躍の場がない事を嘆いていた。

 四国出身者には、規模の大小はともかく、"その道の頂点" を極めた方々も少なくない。日本語処理の「ATOK」と日本語ワープロ「一太郎」を生んだジャストシステム社の浮川和宣社長をはじめ、日本のアクションやスタント界の頂点に立ち、海外にも活躍の場を得ている大葉健二氏(宇宙刑事ギャバン・Kill Bill)、前田浩氏(仮面ライダーThe First 1号ライダー・米国パワーレンジャーシリーズのレッド役)、アイドル女優の広末涼子氏も四国出身である。仏教界から実業界、芸能界に至るまで、四国はバイタリティあふれる人材を何人も輩出している。

 そのバイタリティの源が、井原教授の指摘されておられる「四国の地理的閉鎖性と、産業・経済基盤の脆弱さ」にあるとすれば、皮肉としか言いようがない。地域別最低賃金で見ても、福岡を除く九州・沖縄エリア、山陰エリア、東北エリアに並んで低いのが四国エリアである。港湾・空港・道路の社会基盤整備に加えて、毎年の台風災害、そして南海・東南海地震に備える防災対策も必要となると、とても四国だけで解決できる問題ではない。「自立する四国」に挑まれる皆様は、中央政府を動かした空海・龍馬に比する気概を持って取り組んでおられる事と思われる。

-「月刊港湾」'06年6月号掲載稿に加筆修正-

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 平成18年度港湾・海岸・空港関係予算を、門外漢ゆえに何度も読み返し、ネットで関連しそうなトピックスを拾い集め、素人ながらも、悪い意味で「なるほど……」と思い至る点があった。

 民間企業が新規事業に取り組む場合、「収益の目算を立て、事業計画を立案。その後に予算を組み、開発に着手」という手順を踏む。「不採算であっても、不採算だからこそ……」という考え方は、防災や災害復旧関連事業ならば理解できるし、国民(納税者)の誰もが納得しよう。ところが、"巨大釣り堀" と揶揄される港湾など、釣り人にとっては素敵なプレゼントではあるが、「開発計画と予算確保が先行して、それに帳尻を合わせる形で収益見通しと事業計画を立てたのではないか?」と思われるような事例がゾロゾロと出てくる

 『国家百年の計があり、目先の十数年は無駄に見えても、次世代日本への投資であるッ!』と断言できる、明確な長期事業計画を伴っているのだろうか? 国及び地方の長期債務残高が770兆円を超え、早晩1千兆円にも迫ろうかという現状でも新設が必要とされる、空港建設計画や大規模港湾整備計画なのだろうか? 私が感じた疑問(=不安)は、門外漢のド素人であるがゆえに、大多数の一般国民の感覚に近いと思う。国交省や各地方整備局のサイトを見ても、専門用語やお役所言葉が並び、一般国民への明快な説明になっていない。「公報としてサイトにも掲載してあるでしょ? 意味がわからないって? こういう事は専門家じゃないと、どうせ理解できないと思いますが、何か?」と言われているようだ。穿った見方をすれば、お役所言葉に外来語、和製英語がズラズラならぶナンチャラ白書やらドウタラ報告書は、真相を覆い隠そうとしているように見えてならない。

 「○○港には主として○○国からの原油を運んでくるタンカーや、外国製の自動車や工業製品を運んでくるコンテナ船がきます。そして日本からは○○国や△△国などに、自動車や鉄などを輸出します。入出港する船の平均的な大きさは、長さン十m、積み込む荷物の量はン万トンもある大きな船なので、幅500m、深さ16mの岸壁が必要です。荷物も大きいので大きなクレーンも必要です。だから、港の整備にン百億円を使います。港や岸壁の管理や修理のお金もいるので、整備に使ったお金は今の利用状況から計算すると、元が取れるのは、おそらくン十年後の予定です」と書いて、計数表やグラフや事業発注先のリストが添えられていれば、義務教育終了レベルで理解できるはずだ。公報など、広く国民に知らしめる目的の文章とは、平易で理解しやすい文章でなければ意味がない

-「月刊港湾」'06年5月号掲載稿に加筆修正-

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 釣り好きにとって、港湾や防波堤の岸壁構造や航路となる海底の状況、そして海洋環境のモニタリングデータは、「見たい、聞きたい、知っておきたい」対象だ。港湾関係者でもなく、建設関係者でもない釣り人が、なぜ岸壁構造や航路の海底状況や海洋環境データを知っておきたいか――。学術的な興味や好奇心ではなく、「魚が居着く場所や回遊場所、時期」を知る事になるからだ。旧来、釣り人は経験則を基にした"勘働き"で、好ポイントや釣期を判断してきた。その勘働きを裏付ける知識や科学的なデータがあれば、より正確な判断が出来る。

 また、港湾施設のライフサイクルも関心の対象だ。釣り場の主と呼ばれる常連釣り人達は、「ケーソンの継ぎ目が広がってきた」とか、「数年前よりも満潮時の水位が高くなってきているから、地盤沈下しているんじゃないか?」など、実に良く観察している。昨年6月の東京湾第二海堡のように、施設の老朽化や地盤沈下によって完全立入禁止となった好釣り場もある。釣り人にとって、港湾施設の寿命は重大な関心事なのだ。

 過日、中京釣り界の重鎮である金森直治先生から、東京市長・鉄道大臣を務めた永田青嵐(本名:秀治郎)翁の言葉を教えていただいた。釣り人だけではなく、港湾行政、港湾建設に携わる皆様にも知っていただきたいので引用しておく。
 「都会には公園が必要である。市民の衛生と慰安のためだが、公園の設備には随分と金がかかる。しかるに東京市四五十万人の釣り師は、何の設備もない海や川へ竿一本で出掛けている。東京近郊の海や川は皆この多数市民の公園である。(中略)こんな安あがりの公園はない。およそ公園に税金を取るところはない。だから魚釣りに税金をかけるなどは、以てのほかの考え違いである。これはよろしく割引き乗車券でも出して、大いに優待すべきものであると思うている」

 当時は施設によほどの欠陥でもない限り、管理者責任が問われる事はなかった。言葉はあまり良くないが、「ケガと痛みは自分持ち」「レジャーの事故は死んだら死に損」。きれいな言葉で言うなら「自己責任」が、市民に徹底されていた。これもまた、みなとづくりのキーワードとなるのではないか。

-「月刊港湾」'06年4月号掲載稿に加筆修正-

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 官民協働を掲げ、"港" を魅力ある "みなと" にしようと、様々な取り組みをしている『みなとに集う人々の挑戦』という記事を、釣友でもある近所のご隠居さん達に見せた。熱心な活動を知り、喜んでくれるだろうと思っていたのだが、我が意に反して、返ってきた言葉は辛辣だった。
 「おみゃーさんよ、そもそもが港や海辺から、儂ら市民を追い出したのは誰だと思っとらっせる? 順を追って教えたるで、よう聞きゃあよ。戦争の時は兵站は軍事機密だで港に近づくなと言い、戦後の復興期から高度成長期は経済優先で、海を埋め立て、その上に公害で汚したくりゃがって、挙げ句の果てには危険防止だの、テロ対策だので "関係者以外立入禁止" にして、市民が近づけんようにしてまったのは、誰でもねゃー、他ならぬ行政と港湾管理者だにゃーきゃぁ。今さらンなって「官と民の協働で魅力ある港と海辺づくり」だぁ? タワケた事言っとってかんわ。有料の資格講習会で銭を巻き上げ、その上ボランティアとやらでタダ働きさせようという魂胆が透けて見えとる。こんなもん、官製のサムライ商法みてゃーなモンだわ。ちょーらかされとってはダチカン!(=騙されてはいけない)」
と、激しく叱責されてしまった。日頃は温厚な好々爺のご隠居さん達に、普段は使わない名古屋弁丸出しで怒りを露わにされては、誤解を解く弁明も出来ず、気まずい思いを残したままスゴスゴと退散する羽目に……。

 後日、若い知人に記事を見せると、
 「各団体や組織の活動は素晴らしいと思いますよ。だけど、いろんなイベントで初心者の指導はしても、その後のフォローアップが無いままなんですよね? 初心者に中級者、上級者へとステップアップしてもらわなきゃ、普及にはつながらないのは当然ですよ。その場限りのイベント、主催者の自己満足で終わっちゃってるような気がします」
と、これまた手厳しい言葉が返ってきた。

 当方、すっかり意気消沈。ご隠居さん達のような市民の間にわだかまっている不信感や、若い知人の極めて冷静かつ客観的な評価を聞くと、まだまだ道程は遠いように思われる。しかし、理想の実現に向けた、ひたむきな努力姿勢と成果を示す事で不信感は払拭されていくだろうし、理解者や賛同者が増えればフォローアップ体制も整えられる。そのためにも、機関誌や公報だけではなく、活動内容を広く知らしめる告知方法について検討していただきたいと思う。"官民協働" で行われている様々な取り組みを "官製サムライ商法" などと揶揄されないように……。

-「月刊港湾」'06年3月号掲載稿に加筆修正-

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 海辺に親しみ、海遊びを楽しむ市民は少数派になりつつある……のか。

 釣りインストラクターとして、愛知県教育サービスセンターが主催し、一泊二日で行われる小学生家族を対象とした「親子初心者釣り教室」に講師として参加しているが、受講者に話を聞くと、親子共々、釣りや潮干狩りなどの海遊びをあまり経験していない。曰く、「身近な海は汚染されており、そんな所で釣った魚や、獲れた貝など恐ろしくて食べられない。スーパーや鮮魚店で買った魚介類なら、ある程度は安全性が保証されているから、買ってきて食べる方が安心だ」「釣りや潮干狩りを教えてくれる人もいない。だから海では遊ばない(遊べない?)」と言う。

 本来、「遊び」にコーチやマニュアルは必要ないはず。子ども達が遊び仲間から遊び仲間へと、遊び方、ルール、マナーを伝えていくものだった。公認釣りインストラクターにしても、釣りマナーやモラルの啓発、釣り文化の継承、水辺の環境保護などが主な活動である。決して魚をたくさん釣る方法や、釣り道具や仕掛け作りを教える為の資格ではない。

 人々が安心して遊び、海の恵みを享受できる海に浄化・再生するには、汚水処理場だけではなく、干潟や藻場が必要不可欠。そもそも、自然破壊という負の行為のツケを払っているのが現状ではないか。自然環境をまったく人間の手で操作しようなどというのは、烏滸の沙汰(おこのさた=分際をわきまえぬ行為)というものであろう。人工で干潟や藻場を作ったとしても、最終的には微生物や海藻の繁茂という、自然の力を借りて再生させねばどうにもならない。

 話を元に戻そう。干潟や藻場は魚達の餌場であり、産卵場所でもある。かつては『死の海』とも呼ばれた工業地帯付近の海でも、各種規制や汚染防止技術と相まって、干潟の再生、藻場の育成によって水質が改善され、魚類の生息数も増えてきている。大都市や工業都市からでも、1時間も車を走らせれば、そこは豊穣の海になりつつある。

 国も地方自治体も、経済活動と利便性に偏った開発の時代から、自然環境や景観にも配慮した快適空間の創造の時代へと舵を切ったという。研究・施策・施工ほか、関係各位の努力が開花し、結実の時を迎える事を大いに期待したい。

-「月刊港湾」'06年2月号掲載稿に加筆修正-

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 「地球温暖化に最も敏感な一般市民は?」と問われれば、「釣り人」と答えても良いだろう。科学的、あるいは理論的な裏付けはともかく、気象や生態系の変化に釣り人は敏感だ。なにしろ、晴雨寒暖昼夜を問わず、「水辺のゴキブリ」と揶揄されるほど、水辺に釣り人の姿が絶える事はないのだから。釣り歴30年、40年というベテランともなれば、経験則から外れた事象には、すぐに気付く。

 太平洋側の都市部に近い沿岸域では、季節を問わず、午前9時を過ぎると強い南西風が吹く事が多い。これはアスファルトやコンクリートに覆われた都市部の地表が陽差しで温められて上昇気流が発生し、海側からの空気を呼び込むヒートアイランド現象が原因だろうと言われている。そして、従来は釣れなかった南方系の魚が釣れたり、北方系の魚が釣れたりする珍事が、近頃では珍事ではなくなってきた。静岡県あたりが釣りの限界と言われていたギマという魚が、2000年頃から東京湾でも釣れるようになった。逆に千葉県の外房エリアが限界と思われていたホッケやドンコ(エゾイソアイナメ)が浜名湖で釣れたりもする。明らかに海流や海水温に変化が起き、生態系に異変が起きている証拠だろう。「海がおかしい」は、魚が釣れなかった時の釣り人の常套句だが、最近は明らかに海がおかしくなってきている。

 釣りインストラクターであり、釣り雑誌にウンチクを書いたりして、釣り人の疑問に答える立場にあるので、いろいろと原因を調べたり、仮説を立てて推論してみたりもするが、『地球温暖化と海洋変動』『海洋環境と生態系』『地球温暖化による台風の出現特性の変化』など、地球規模のマクロな視点からの検証も必要かもしれない。学術的知見の論文などにも当たる必要がありそうだ。

 地球環境・国際環境協力(地球環境局)『家庭で出来る温暖化防止』には、ちょっと気を付けて徹底すれば、年間4万円以上の節約方法が記されている。釣行費用や釣具購入費用の捻出に四苦八苦している "釣り好きお父さん" にとって、家庭で出来る温暖化防止は大きな福音だ……と思う。実践してみていただきたい。

-「月刊港湾」'06年1月号掲載稿に加筆修正-

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 製造業やサービス業など民間企業においては、「高付加価値商品」「高付加価値サービス」「CS(顧客満足度)」がキーワードとなり、各社各店が創意工夫を凝らしてきた。その結果、自動車や家電品をはじめ宅配便にいたるまで、ユーザーの選択肢は増え、嗜好に合わせた快適性や迅速なサービスを受ける事が出来るようになった。製造業においてはコストを抑えるべく、生産拠点を東アジアや東南アジアに置き、それに伴って貿易量、物流量は飛躍的に増大している。

 港湾は「津」「泊」と呼ばれていた時代から、物流や経済の基点であり、「人・物・金・情報・文化」の交流点にして、最先端であった。坂本龍馬、勝海舟など、『みなとの偉人』として語り継がれて人々は、まさに港と海を "価値創造の場" として見つめ、考えてきたであろう。古くは平清盛もそうである。

 サプライチェーンマネジメントとデマンドチェーンマネジメントの両視点からの港湾サービスの確立、マルチモーダルの必要性と言えば現代的だが、港湾に求められる機能は変わっておらず、「港湾ロジスティクス・ハブの形成」などの提言は、中世~近世の日本において港湾が担っていた機能や役割を、現代的規模にスケールアップした姿ではないかと感じる。

 一般に貨物集積と流通荷役の場として見られがちな港だが、歴史的背景や現状の課題を知り、物流機能の整備とともに、市民の親水空間としての理想像を思い描いてみると、やはり港にはロマンがある。

-「月刊港湾」'05年12月号掲載稿に加筆修正-

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 日本人の多くは、自分の母国でありながら「日本はアジアの小国」という認識でいる。その小国が国境を接する隣国から、領有権問題などで摩擦を起こされるのは、過去の戦争での侵略行為、そして敗戦国であると言う事が原因だと思っている国民も少なくない。

 日本は決して「アジアの小国」ではない。国土面積では38万k㎡と世界第60位だが、排他的経済水域は405万k㎡にもなる。水産資源、鉱物資源をはじめとする、海洋資源の主権的権利を持つ面積は”世界第6位”であり、さらに世界有数の技術力と経済力を有する日本。隣国からして見れば、少しでも勢いを削いでおきたい「脅威の大国」、と映っているであろう。

 一般に国民が日本の持つ権利と、果たすべき責任を理解する機会はあまりにも少ない。北方領土、竹島、尖閣諸島、沖ノ鳥島、南鳥島の領有権が持つ意味と価値を、より多くの国民が正しく理解しておくべきなのだが、笑福亭鶴瓶氏ら有名タレントの不見識な発言ひとつで、「隣国と揉めるくらいなら、島の一つや二つ、あげちゃってもいいじゃン?」という意識が植え付けられてしまうのが現状だ。

 思想や信条の問題以前に、無関心と無知が生み出してしまう大きな錯誤。誤った考え方が流布していけば、それは時間を経て、やがて世論に変わる。無関心と無知から生まれた、誤った世論が定着してしまってからでは遅い。日本という主権国家があってこそ、我々は日本人であり、我々の日本文化が存在しているわけで、国家主権や国益を損なう、あるいは軽んじる行為は売国行為どころか亡国行為である。

 複雑な国際関係、微妙な日本の立場といった現実についても、わかりやすく解説されている資料は少ない。正論やきれい事だけで、隣国との摩擦を解消するのは難しいかもしれない。しかし、誰もが "きれい事での解決" を望んでいるはずだ。きれい事とは、理想という意味でもある。それには冷静な分析と判断を下すための、正確な情報と正しい知識が必要だ。

-「月刊港湾」'05年11月号掲載稿に加筆修正-

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YASU ・居眠釣四郎・眠釣
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釣りと動物と時代劇、時代小説をこよなく愛する、腰は低いが頭が高い、現代版「無頼浪人」にて候。
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