忍者ブログ
釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
[1] [2] [3] [4]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



 その日、空は晴れていたが堤防上は濡れていた。車のラゲッジスペースから釣り道具一式を取り出し、肩に担いだ。堤防の入り口に着くと、地元の常連釣り人らしき初老の男が話しかけてきた。
 「今日はやめといた方がいい。堤防を越える波も来とるぞ」
 「来てない、来てない。今だってたいした波じゃないし、平気ッしょ?」
 「いや、堤防の上が濡れとるだろ。ありゃ堤防が波を被った証拠だ。今日はやめとけ」
 「ここまで3時間もかけて来たんスよ。とりあえず竿を出さなきゃ、帰れねッスよ」
釣り人は聞く耳を持たなかった。スタスタと先端部に向かって歩き出した。

拍手

PR


 釣りは数あるビーチレジャー・マリンレジャーの中でも、最も歴史が古く、最も愛好者の多いレジャーである。年齢性別も関係なく遊べるという点で、海に親しむ入り口として最適なのだが、その反面、手軽であるがゆえに、安全意識の低さ、マナーの悪さが、他のレジャーに比べて突出している。釣り人として大いに恥ずべき事なのだが、いかに恥として理解せしめるか。それには自律心と公徳心を持ってもらう他にない。それも入門者、とりわけ子どものうちに教えておくべきである。さりとて、親御さん自身が水辺の危険やマナーをご存じないのだから、家庭での躾や教育は期待できない。

 昭和の頃には、どこの釣り場にも一人か二人はおっかないカミナリオヤジがいて、「おい坊主。そんな事をしたら危ないだろうが!」「他人様の迷惑になる事をしてはダメだと言うておろうが、この馬鹿者!」と、危険な事やマナー違反をした子どもたちに、お小言の一喝とお仕置きゲンコツの一撃を喰らわせて、安全意識やマナーを痛みと共に叩き込んでくれたものだ。私もドカンガツンと叩き込まれた一人である。泣いて謝ると、「わしに謝ってどうする。イイ子の方の自分に謝れ!」と諭してくれた。決して感情を激して怒っているのではなく、愛情を持って叱ってくれていたのである。人間には誰にも良い面と悪い面がある。悪い面の自分が過ちを犯したら、良い面の自分(自らの良心)に対して恥じ入り詫びるべし、と。

 子どもたちにとって、カミナリオヤジは恐くて大ッ嫌いな存在であったが、お小言の一喝を暴言とは感じなかったし、お仕置きゲンコツの一撃も暴力だとは感じていなかった。カミナリオヤジの小言には「お」を付けて「お小言」、ゲンコツの一撃も「お仕置き」と「お」を付けていたのは、"ありがたい諫め" と理解していたからである。カミナリオヤジは "愛ある嫌われ者" だった。

 しかし、今のご時世ではお小言の一喝も、お仕置きゲンコツの一撃も許されない。そんなことをしたら、たちまち「暴言と暴力だ!」と訴えられて社会的に葬り去られてしまう。"愛ある嫌われ者" が存在できない今日では、「こんな時はこんな理由で、こんなケガをするかもしれないから危ないんだよ」「こういう事をすると、他の人がこんな迷惑をするからダメだよ」と、噛んで含めるように教えていくしかない。事の分別をわきまているはずの大人でさえ、言葉による注意の効果は薄いのに、まだ社会性や理解力に乏しい子どもに、言葉だけの指導がどれほどの効果があるのか、はなはだ疑問ではある……。

-「波となぎさ」'06年12月26日発刊 170号 掲載稿より抜粋・加筆-

拍手



 「お父さん、また釣り~? たまには家族でどっか行こうよォ」。そんな家族の怨嗟の声が聞こえて来そうな秋の行楽シーズン。釣りと家族を秤に掛けりゃ、釣りが重たい釣りバカ人生。しかし、そんな本音はおくびにも出せるはずがない。ならば、家族ぐるみで誘ってしまえ、という知能犯釣りオヤジには浜名湖ドライブ釣行をお勧めする。

 ドライブ釣行と銘打った以上、ご家族には山・川・湖・海と景色の変化を楽しませ、名所旧跡も訪ねつつ、こちらは釣りも楽しもうというのだから、綿密な作戦計画が必要だ。夜明け前に出発し、東名高速で三ヶ日まで高速ドライブ。続いて浜名湖レイクサイドウェイで湖岸の山中を走り抜け、江戸時代の遺構を今に伝える新居関所に立ち寄り、名物のウナギや十割ソバに舌鼓を打つ観光プラン。その裏側には、表浜で雄大な太平洋での投げ釣り、新居海釣り公園でチョイ投げ、女河浦護岸でサヨリ釣りという釣行プランを仕込んでおく。荘厳な日の出、山中の空気漂う秋の気配、太平洋の雄大さ、そして自分で釣った魚にご家族も上機嫌。これでしばらくは、大手を振って釣りに行ける……はず?

-海悠出版「磯・投げ情報」'05年12月号掲載稿に加筆修正-

拍手



 海は人の心に開放感をもたらし、世代や性別を超えて交流を促してくれる。なぜか? 海辺では波の音、潮風でボソボソと話していたのでは会話が成立しづらい。いつもよりも大きな声で、ハッキリと話をしなければならない。いきおい、表情も豊かになり、相手の感情や想いが読み取りやすくなるからだろう。これは都会の騒音のように、不快な音の中での大声と違って、潮騒や潮風は爽快感を伴っているからこそ。しかし、心開いただけではシャイな現代人には足りない。会話のきっかけとなるツールが必要なのだ。そのツールとして、年齢、性別、体力の有無を問わず、多額の初期投資の必要もなく、誰もが楽しめる水辺のレジャーとして、釣りは最適なのだ。

 大型駐車場やトイレを設置し、安全設備や救難設備を整え、飲食店やコンビニエンスショップなどの商業施設を誘致し、各種のイベントを開催して人を集めても、そこに人々の交流がなければ、真の里浜とは言えないだろう。喜びや楽しさを共有し、笑顔で人との出会いを楽しむ場の創造を推進して欲しい。そして「海辺のマナー」を広く教え伝えていくべきだろう。

 海辺のマナーを教えるにしても、「アレはいけない、コレはこうせよ」と強制しても効果はない。これは現状を見てみればわかるだろう。マスコミや広報や学校教育を通じて、自然保護や環境美化を声高に叫んできても、このありさまなのだ。しかし、法律やルールで規制されなくても、学校で教育しなくても、人々が粛々とマナーを守っている場所がある。神社・仏閣・教会・墓地の敷地内だ。たとえ酒に酔っていたとしても、神社で立小便をする人はいない。くわえ煙草で仏殿やお墓参りをする人もいないし、教会の庭にゴミをポイ捨てする人もいない。聖域だから神罰仏罰が下るなどと、本気で信じている人はいないだろう。では、なぜ? 人として恥ずべき行為であると、誰もが認識しているからに他ならない。

 法や条例による規制や指導も必要だが、罰則を設けて従わせるのではなく、自らの行為に責任を負う心(公徳心・自律の精神)を育成する必要があるだろう。「釣り場清掃にご協力くださ~い!」と呼び掛けても反応は薄く、時には反発さえ招きかねないが、ゴミ袋を手渡しながら「帰り際に身の回りのゴミだけ拾ってってね」と一人一人に話し掛けると、ほとんどの人が釣り場清掃に協力してくれる。協力を要請されると負担に感じるが、自分の分だけ片付けて欲しいと頼まれるのならば負担には感じない。個別に語りかけられたという心理的な効果も大きい。これとは逆に、千葉県浦安市のある岸壁では、有志の釣り人たちが、一般の釣り人に協力を求める事もなく、ゴミを放置する人を見かけても咎めることなく、黙々と無言でゴミ拾いを続けた。数ヶ月後、その釣り場にゴミを放置する人はいなくなり、海辺はきれいに片付いたという事例もある。手法は正反対であるが、どちらの試みも人々の公徳心に直接訴え掛けている。一時的に人手と手間は掛かるが、数十年を掛けても成果の上がらない呼び掛けや看板設置よりも、はるかに効果的で即効性がある事を実証していると言えよう。

 釣り、海水浴、潮干狩り、各種のマリンスポーツを楽しむ人々が集い、憩い、笑顔で語らう海辺。そこに集う人々が自らの手で、自らの判断で、安全を心掛け、互いに心地よく過ごせる雰囲気を醸成できるようにしたいものだ。行政や管理者による規制、自然保護や環境美化に関する呼び掛けを必要としない日が必ず来ると私は信じている。

-「波となぎさ」'05年8月31日発刊 164号 掲載稿より抜粋・加筆-

拍手



 手軽で安全に釣りを楽しめる釣り公園。各地に続々と開設され、あるいは開設準備が進められており、陸っぱりファンには嬉しい話だ。釣り公園には様々な利用規則が設けられているが、竿は何本までとか、コマセの使用制限など、規則と言うよりもマナーを明文化した程度で、多くの釣り公園ではさほど厳しい利用規則は設けていない。利用規則が厳しすぎて釣り人がいないという釣り公園もあるが、規則が細かく禁止事項が多いという事は、管理者と利用者の信頼関係が歪になっている証拠だ。釣り公園の管理者は設備管理と安全管理が主な仕事であって、釣り指導や初心者の手ほどきなどは行わない。つまり、一日を楽しく過ごせるかどうかは利用者である釣り人次第と言える。

 静岡県・新居弁天海釣公園('77年開設)管理者は「規則で利用者を縛りたくはない。むしろ利用者同士で良い雰囲気を作ってもらい、釣りの楽しさはもちろん、初心者やお子さん方が釣りマナーや安全釣行の心得を学ぶ場にして欲しい」と語り、愛知県・名古屋港海づり公園('92年開設)管理者は「釣法の多様化で釣り座の棲み分けが必要な時代になってきた。また、利用者には釣り場の環境保護を考えた釣りをして欲しい」と語る。両釣り公園とも、入場無料、24時間開放、管理棟を兼ねた休憩施設、トイレ、手洗場、飲物の自動販売機が設置され、転落防護柵、救命浮輪、救護ロープなど安全設備も完備。車イスでの利用も可能なバリアフリー設計であり、日中は管理者が常駐する。また、目に見えない配慮として人工漁礁が入れられており、クロダイ、スズキ、メバル、アイナメ、カサゴ、シロギス、カレイ、マゴチ、マダコなど、四季折々の多彩な釣魚に恵まれている。特筆すべきは、年間利用者数13~20万人という多くの釣り人を迎え入れながら、開設時から死傷事故はゼロを誇る。まさに理想的な釣り公園だ。
 最近新設された福島県・小名浜アクアマリンパーク内の釣り区域は、利用状況を見て継続するかどうかを検討するという条件付き暫定開放。利用者のマナーや安全意識などが試されているのだと考えて欲しい。静岡県・熱海港海釣り施設は高波事故で計画が中断した経緯があるだけに、ライフジャケットの無料貸与など、安全管理には神経を使っている。

 釣り公園の未来も、釣り人のマナー、モラル、安全意識で決まる。あなたはどんな釣り公園を望みますか?

-海悠出版「磯・投げ情報」'05年7月号コラム掲載稿に加筆修正-

拍手



 釣りは『誇るべき日本の文化』であり、『国民的レジャーの雄』であると、私は信じて疑わない。しかし近年、釣り人は水辺の厄介者のレッテルを貼られかけている。その厄介者の釣り人も、釣り場を離れればごく普通のサラリーマンであり、家庭人であり、善良な一市民であって、問題行為をしでかすような人々ではない。ところが、釣り竿を片手に海辺に出ると、分別をわきまえたいい大人でありながら、ゲートを突破し、フェンスを破り、柵を乗り越えていく破落戸(ならず者)に変貌する。こんな馬鹿げた事をしでかすのは釣り人くらいなものだ。しかし、なぜ? それはひとえに、釣りが "遊び" であるが故。仕事であれば世のしがらみ、大人の事情などを察して我慢も妥協もしようが、事が遊びとなると、規制理由を心から納得するか、自分が罰せられて懲りるかでもしない限り、聞き入れる事はないのだ

 例を挙げてみよう。徳川五代将軍綱吉の『生類憐れみの令』が布かれた1685年から1709年。よりによって千代田城(江戸城)のお堀で釣りをした武士がおり、切腹は免れたが、減封という厳しい処罰を受けている。また、キス釣り針の考案者として後世に名を残した阿久澤弥太夫という武士も、禁制を破って釣りをしているのがバレて捕縛されている。この他にも、入牢や謹慎を申し渡された釣り好きの武士は何人もいる。町人に至っては、数え切れないほどいたであろう。
 生類憐れみの令廃止後も、職漁以外の釣りは禁止され続けたが、釣り人はあの手この手で竿を出した。日中おおっぴらに釣りをしていては捕まってしまうので、夜の闇に乗じて釣りをする。江戸城のお堀や浅草妙音寺など、釣り禁止の場所で竿先に鈴を付けた「脈釣り」「投げ釣り(投げ込み釣り)」と称した隠れ釣りが流行した。禁を破れば罰金どころか死罪もあり得る時代。それでも釣り人たちは竿を出し続けていた。
 その一方、伊勢の阿漕浦では伊勢神宮への献納漁を行う以外は、漁民でさえ殺生禁断を守り続けていた。お上による一方的規制は、死罪という厳罰をもってしても効果は薄く、納得いく理由があれば、庶民は道徳的規範として自発的に守るという証拠だ。

 さて、それから300年の時を経た現代。2004年7月1日の改正SOLAS条約発効に伴い、主要貿易港の保安体制が強化された。しかし、半月と経たない内に秋田県能代港でテロ対策のための有刺鉄線が切断されている。北羽新報2004年7月13日の記事で、能代港湾事務所の三浦忠悦所長は「どういう意図で有刺鉄線を切断したのかは分からないが、今後は厳しく対応せざるを得ない。立入禁止といった規制強化を理解してほしい」と語っているが、わかりやすい理由説明も無しに、理解しろというのは無理だ。静岡県清水港のように、事前に「テロ防止を目的とした国際条約の改正に従い、港湾の保安体制を強化する。保安基準に満たない港から出港した船は、寄港予定地で入港を拒否される可能性があるので、一般市民の立入規制が厳しくなる」と、SOLAS条約に基づく規制強化を説明したチラシを作り、周辺の釣具店や釣餌店でも配布するなど、市民の理解を求めるべきであった。建前で言えば、従来から各地の貿易港のほとんどの岸壁は「関係者以外立入禁止」となっていたが、市民の理解と協力を期待するならば、わかりやすい説明と幅広い告知が必要であると言えよう。釣り情報誌、釣具メーカーのサイトやメールニュース、釣具店での広報チラシ配布など、関連業界に協力を仰いでの告知が最も効果的ではないかと思う。

 SOLAS条約発効から2年。未だに港湾の保安強化理由を理解していない市民は多い。願わくは、今後は規制の理解を求めるだけではなく、市民の規範意識に訴えかけるようなわかりやすい説明と充分な周知期間を設けていただきたい。それが行政サービスというものだと私は考える。

-「月刊港湾」'06年7月号コラム掲載稿に加筆修正-

拍手



 歴史を大きく動かした「その時」には、その瞬間の人々の決断や苦悩のドラマがあります。今日の「その時、釣り場が消えた」は、日本全国の主要貿易港から釣り場が消えた「その時」をご紹介します。

 時は西暦2001年9月11日。テロ組織アルカイダが旅客機を乗っ取り、米国ニューヨークの国際貿易センタービルに突入。そして、テロ別働隊は米国国防省、ホワイトハウスにも突入を敢行します。世界はテロの恐怖に震撼し、国際テロへの警戒を余儀なくされます。そして、船舶・港湾を通じた国際テロの阻止に向けて、SOLAS条約(ソーラス条約:海上における人命の安全のための国際条約)の改正に動きます。
 テロとの戦いを宣言した米国ブッシュ大統領は、フセイン政権下にあるイラクをテロ国家とし、イラク戦争開戦に踏み切ります。米国の同盟国である日本はイラク戦争を支持。イラク復興支援の名目で自衛隊をイラクに派遣します。しかし、この戦争支持と自衛隊のイラク派遣はテロ組織アルカイダを刺激。テロ攻撃の対象として、日本も名指しされます。第二次大戦後60年、平和ボケと揶揄されてきた我が国は、戦後最大の脅威にさらされます。海洋国家であり、貿易立国である日本。テロ対策は焦眉の急でありました。

 2004年7月1日の改正SOLAS条約発効に向け、政府は国内法として「国際航海船舶及び国際港湾施設の保安の確保等に関する法律」を3月に全会一致で可決。2004年4月12日公布。数百億円の補正予算を組み、全国の主要貿易港の保安体制強化に乗り出します。この時、釣り人も、釣り関連業界も、岸壁への立ち入りが一切禁じられるとは、まったく考えていませんでした。改正SOLAS条約が釣り人に及ぼす影響に気付き、警告が必要だと動き出したのは、"無頼の釣り浪人" と呼ばれた男、居眠釣四郎ただ一人。「今回の規制は国際条約に基づく厳格な法規制。お目こぼしも例外も黙認もあり得ない!」。危機感と焦燥感に苛まれた釣四郎は、自ら開設したホームページで、全国の釣り人と釣り関連業界に呼び掛けます。
 『主要貿易港は2004年7月1日から、本当に関係者以外立入禁止になる!』

 改正SOLAS条約発効まで、あと2ヶ月。釣四郎は釣り雑誌、釣り団体、釣具メーカー、釣具店、釣餌店に、保安対策強化の一般告知に協力してくれるよう奔走します。しかし、この時点に至ってもまだ、反応は冷ややかなものでした。「港湾からの市民締め出しなど、本気でやるはずがない。どうせ黙認状態が続くだろう」と、たかを括っていたのです。その間にも、保安対策強化の工事は着々と進められていました。

 さあ、今日の「その時」がやって参ります。

 2004年7月1日午前0時。全国の主要貿易港はフェンスで取り囲まれ、夜間照明、常時監視カメラが稼働。出入り口には警備員が配され、まさに重要保安施設として、一般人の立ち入りを禁じました。たかを括っていた釣り人と釣り関連業界は呆然とします。立入禁止エリアに侵入して検挙される釣り人、売り上げが激減した釣具店、釣餌店……。

 釣四郎の再三の警告にも拘わらず、なぜ、国際条約に基づく保安強化を、市民の誰もが甘く見くびっていたのか? それは認識の甘さや既得権意識だけではなく、2006年のPSE法での混乱を見るとおり、今なお、法令の一般告知、周知徹底の方法に改善の余地がある証拠だと言わざるを得ません。

 今日は、立入禁止区域に不法侵入した釣り人の摘発・検挙にあたった、某警察署副署長の言葉をご紹介して、お別れしたいと思います。本日も当ブログをご覧いただき、ありがとうございました。

「釣り人を検挙した場所は、立入禁止の看板・フェンス・ゲートが設けられており、無意識に入り込んでしまう場所ではない。保安対策はもとより、事故防止の観点からも、再三にわたって警告を行ってきたが、フェンスを破壊したり、オーバーハングした部分を伝わって侵入する釣り人が絶えず、退去勧告にも応じないため、警告ではなく、摘発の段階に入ったと判断した。長年通い慣れた釣り場を失った釣り人の心情はわかるが、社会を構成する一員として、自覚を持った行動をしていただきたい」。

-「波となぎさ」'06年9月26日発刊 169号 掲載稿に加筆修正-

拍手



 波の制御機能はそのままに建設コストを下げる新設計法をはじめ、点検・補修が容易なローコスト運営で長期使用が可能になり、さらには "壊れにくいが壊しやすい" という、改修も視野に入れた港が築かれる時代になった。まったく、海洋工学や海洋土木技術、そして築港技術の進歩には本当に驚かされる。

 港の防波堤や岸壁は釣り人にとって、最も身近で手軽な釣り場。しかし、時に最も危険な釣り場にもなる。磯や離島に釣りに行く場合は危険を想定して、ライフジャケットの着用や救難ロープの携行などの、安全装備も用意するし、気象・海象にも気を配る。しかし、防波堤や岸壁は身近で手軽であるがゆえに、安全装備や危険回避といった意識が希薄になる。そして、万が一の落水時。防波堤や岸壁は垂直に切り立った構造になっており、海面からの高さもかなりあるので、自力で這い上がる事はまず不可能。防波堤であれ、臨海公園であれ、落水した場合に自力で出来る事は何一つなく、発見・救助されるのを待つしかない。その救助を待つ間に流されたり、沈んでしまわないように、すがりついておく手掛かりさえないのが実情だ。

 「港は遊び場ではない!」と言われれば確かにその通りなのだが、港の造り方・使い方がこれほど進歩しているならば、せめて臨海公園や釣り公園になっている場所や、将来一般開放されそうな場所については、転落防止柵や救命浮輪だけではなく、緊急避難用のハシゴなり、救援を待つ間にすがりついておける手掛かりを設置してあれば、落水事故による殉難者も減るのではないだろうか。

-「月刊港湾」'06年9月号掲載稿に加筆修正-

拍手



 改正SOLAS条約の発効は、釣り人にとって痛恨の極みであった。行政や港湾管理者からの事前告知や、わかりやすい説明も無く、未だに「なんで締め出されたンかいな?」と首を傾げている釣り人もいる。行政関係者からは「新たに釣り公園が開設された事例もある」との回答をいただいたが、全国の閉鎖されたエリアの総範囲と、新設された釣り公園の範囲をご存知の上でお答えだろうか? 改正SOLAS条約によって行き場を失った釣り人のために新設された釣り公園は、福島県小名浜港の一角だけである。小名浜港湾建設事務所管理グループに確認したところ、保安対策エリアから締め出された釣り人が漁港エリアに詰めかけてきたため、漁業者からの苦情に応える形で、アクアマリンふくしまのある2号埠頭に釣り区域を新設したというのが真相だ。

 とはいえ、港の保安対策強化は絶対に必要。実際に日本は非常に危険な状況にある。イスラム系テロ組織の活動ばかりがクローズアップされているが、日本が国境を接している隣国のほとんどは、"先進国" だの "経済大国" だのと吹聴していながら、ODA、円借款、債務保証などの経済援助名目で日本に金をたかり続け、そのくせ反日教育を行い、軍備拡大を行っている。挙げ句の果てにはその国の長が「日本とは対決すべし」と公言して憚らぬ国に対して、ご丁寧に入国ビザの免除までして差し上げたというお人好し国家が日本である。工作員やテロリストの目的は、人命を奪ったり、破壊活動によって経済損失を与える事だけではなく、狙った国の国際的信用の失墜、治安悪化、人心の攪乱、国論の分断などの情報操作も含まれる

 他国の港湾警備体制は、自動小銃などの火器を携行した特別警察や軍の特殊部隊との連携だが、日本ではそうはいかない。とにかく、保安施設に近付かせない、入り込ませないという対策が主体なのだから、危機管理の現場最前線に立つ方々のご苦労を思えば、釣りや散歩のできる場所が減るくらい、どうと言う事でもない。これを嘘偽り無く、わかりやすく国民に伝えて欲しい

-「月刊港湾」'06年8月号掲載稿に加筆修正-

拍手



 港湾開発の技術面では世界をリードする日本でありながら、港湾の使い勝手やコスト面ではアジア各国に劣り、国際競争力の回復が急がれているという。日本の港は荷役に関係するコストが高く、おまけに入稿・通関手続きが面倒ときては、いわゆる "Japan Passing (ジャパン・パッシング=日本飛ばし)" が行われるのも仕方がないだろう。しかし、このような現実を知り、考えるようになったのはモニターとして月刊港湾を読むようになってからの事。一般市民にしてみれば、日本の貿易港が上海や釜山などの港に追い抜かれている事を知らない。知識どころか、関心すら持っていないのが現実。自分の住む街の港が、どこから何が運び込まれ、どこに何を運ぶ港なのかも知らないのが普通だ。それも無理のない話で、港は港湾関係者と企業と貿易業者と漁業者のものであって、一般市民には近付く事さえ禁じられた場所。興味や関心を持たせない様にしているのだから、再開発への理解や協力を求めても、市民の無関心と非協力に嘆く事になるだろう。

 私は名古屋港の近くに住んでいるが、大型トラックの騒音・振動・排気ガスは凄まじい。利便性を向上させるため港湾業務が24時間稼働になったら、深夜早朝も大型トラックが走り、振動や騒音に悩まされる事になる。周辺住民にしてみれば、迷惑千万な話でしかない。事前に「かくかくしかじかの理由で、港湾は24時間稼働となり、周辺住民には騒音・振動・排ガス等のご迷惑をお掛けする。ゆえに道路には低騒音、低振動の高規格舗装を施し、排ガス対策も行うので、ご理解とご協力を願う」と、周辺各戸に事情説明と環境対策を約束するくらいの事はしないと、理解も協力も得られまい。改善や再開発は港湾そのものの効率化と利潤追求だけではなく、周辺地域の環境も含めて計画していただきたい。『みなとの偉人たち』に紹介された、薩摩藩の辣腕家老 "調所笑左衛門広郷" が行った苛斂誅求とも言われる財政改革への庶民の怨嗟は昭和の時代になっても続き、広郷の7代目に当たる調所一郎氏は、今でも奄美には足を運びづらいとおっしゃっていると聞く。強行策をとって市民の心に芽生えさせた怒りは憎しみに、悲しみは怨みとなって、後世に残る事になるという実例である。

-「月刊港湾」'06年7月号掲載稿に加筆修正-

拍手



カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
YASU ・居眠釣四郎・眠釣
性別:
男性
自己紹介:
釣りと動物と時代劇、時代小説をこよなく愛する、腰は低いが頭が高い、現代版「無頼浪人」にて候。
最新記事
(09/01)
(08/24)
(08/13)
(07/29)
(07/23)
最新トラックバック
ブログ内検索
アクセス解析
バーコード
カウンター
忍者ブログ [PR]