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釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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 明治31年、民俗学者の柳田國男は愛知県渥美半島の伊良湖恋路ケ浜を散策中に椰子の実を拾った。その話を聞いた親友の島崎藤村は叙情詩として詠み、昭和11年に大中寅二が曲を付けて国民歌謡「椰子の実」が生まれた。
 ♪名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ
  故郷(ふるさと)の岸を 離れて 汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)♪
流れ漂い着いた椰子の実の故郷、南方の異国に思いを馳せるロマンチックな歌だが、これが現代になると、そんな悠長な話ではなくなる。日本海沿岸域においては異国の文字が記されたゴミが、わんさかと漂着している。藤村先生、この話を聞いたらどの様に詠まれるであろうか?



【証拠は歴然】
 海辺を汚しているのは漂着ゴミが中心なのかというと、さにあらず。砂浜はもちろん、港湾や防波堤におけるゴミは、空き缶、ペットボトル、コンビニ弁当の弁当ガラ、カップラーメンの容器など、釣り人をはじめとするレジャー客の放置ゴミが最も目立つ。日本釣り振興会(日釣振)や全日本釣り団体協議会(全釣協)をはじめ、釣り団体、釣具メーカー、大手釣具店などの、「釣り場をきれいに。清掃ボランティアでいい汗流そう!」といった掛け声の下、全国各地で有志の釣り人が集まって、釣り場の清掃活動を行っており、私も年に数回、釣り場清掃活動に参加し、時には幹事を仰せつかっているのだが、回収したゴミを見るにつけて暗澹たる気持ちになる。特に釣り人の放置したゴミは一目瞭然。釣具店のレジ袋、配合エサや釣具のパッケージ、絡まった釣り糸や釣り仕掛け、挙げ句の果てには折れた釣り竿や壊れたリールまで――。証拠は歴然、弁解の余地無し。回収したゴミの山を前にして、脳天気に「いい汗流したゼ!」といった気持ちにはなれない。時代掛かった言い回しするならば、「趣味を同じくする不心得者のかような不始末。誠に慚愧の念に絶えず、汗顔の至りにて候」である。

 公認釣りインストラクターという立場にありながら、釣り人の愚かさを暴くのは心苦しいが、確かに社会的モラルに欠けている釣り人は少なくない。ゴミのポイ捨てを注意されると、「そんな細かい事でいちいち文句言うなよ。不法投棄された家電や産廃に比べりゃ、これっぱかしのゴミ、知れたモンでしょうに」「漂着ゴミだって多いじゃねーの。俺だけに文句言うなよ」「アンタだって捨てた事あンだろ? 無ェとは言わさねーよ。あぁん? どうなんだ? 捨てた事あンだろがよ!」と逆ギレする始末だ。これが、無分別な子どもやチンピラ風の若者だけではなく、いい歳をした大人やご隠居さんまでもが口にするセリフだから情けない……。注意をしたり、たしなめたりするのはトラブルの元になる時代になった。以前にも紹介したが、千葉県浦安市の護岸で有志の釣り人が黙々とゴミ拾いを続け、いつしか「この護岸にゴミを放置するのは恥だ」という雰囲気が出来上がり、放置ゴミが姿を消した時期がある。心理学者フィリップ・ジンバルドの研究と犯罪学者ジョージ・ケリングの考案による「割れ窓理論」になぞらえるならば、窓を割るのを取り締まるのではなく、割られた窓を次々と塞いで回った結果と言えようか。少々回り道にはなるが、トラブルに巻き込まれず、実効を上げられるのならそれに超した事はない。

※割れ窓理論=一枚の割れた窓ガラスを放置しておくと、建物全ての窓ガラスが割られ、いずれは建物全体が荒廃してしまうという環境犯罪学の理論。環境犯罪学とは、犯罪や事件の発生原因ではなく、発生状況(環境)を分析することによって、犯罪予防を図る学問。

【海岸清掃ボランティアの現実】
 海岸清掃ボランティアの手によって回収されたゴミの処理は、自治体にもよるが、中部国際空港で有名な愛知県常滑市の場合、ゴミ回収の際にペットボトルや空き缶などを資源ゴミとして分別しておいても、"不法投棄された廃棄物"の扱いとなり、リサイクルの対象にはならない。また、回収したゴミの処分のためには地元の公金が使われる。それゆえ、「回収したゴミはボランティア各自が自宅へ持ち帰って処分してくれ」とか、「在住者、在勤者でもないよそ者が集めたゴミの処分に市が協力? ダメダメ!」と、協力を断るシビアな自治体も出てくる。十数年前、日本テレビのバラエティー番組で全国の放置ゴミを片付けて回るという企画があり、岩手県の担当者が回収ゴミの処分をけんもほろろに断った。その経緯が番組で放送され、県内外から批判が殺到。担当部門のトップが陳謝したという例がある。今ではインターネットが普及し、個人でも自由に、携帯電話からでも全世界に向けて情報を発信できる。巨大匿名掲示板に告発記事を投稿するだけで、企業や自治体に数千件の苦情が押し寄せる時代だ。高価な機材を用意せずとも、携帯電話に録音・録画機能も備わっており、やりとりの一部始終が証拠として残せる。こうなると、言った言わないの水掛け論でとぼけ通して逃れる事も出来ない。世情に疎く、下手に役人風を吹かせていると、後で担当部門のトップが火消しに奔走せねばならなくなる。

 そもそも、釣り人による海岸清掃ボランティアは「きれいな釣り場で釣りを楽しみたい」が為であって、ゴミ拾いがしたいわけではない。私の場合も、義勇心とか、ナントカ愛なんて高尚な心持ちなんぞ、端っから持ち合わせていないわけで、「ご領内釣り場海岸清掃の儀、何卒お許しの程、宜しくお取り計らい願わしゅう申し上げ奉りまする」などと、平身低頭でボランティア活動の許可を願い出るつもりは毛頭ない。「海岸のゴミがひどいですね。ボランティアで海岸清掃に一肌脱いでくれる奇特な御仁を集めますから、指定のゴミ袋があれば提供してください。回収したゴミの処分はそちら(自治体)でお願いします」と、腰は低いが頭が高い、などと揶揄される申し入れをしている。ボランティア活動の際に"官民協働"という言葉が使われるが、協働の際の準備期間を含めて、官は公務として報酬を得ているが、民は全くの無償である。どちらが尊いか、言うまでもないだろう。

 頭の固いお役人相手では話にならぬ時は、商工会議所や観光協会に話を持ち込む。商工会議所や観光協会は"よそ者"が来てくれなければ伸びないのだから、喜んで相談に乗ってくれた。海辺は重要な観光資源であり、その海岸清掃に無償で労力を提供しようというのだから、自治体指定のゴミ袋の提供、ゴミの処分についてのお役所との交渉も引き受けてくれた。しかし、これだけでは正式な海岸清掃活動のお許しが得られたわけではない。港湾の護岸や防波堤などの場合、管轄の港務署への届出が必要になる。また、埋立地などは管轄が各県の企業庁になっている場合もあり、そちらへの届出も必要になる。たかが海辺のお掃除も、真っ向から筋を通して行政の許可や協力を取り付けて行おうとすると、人手集めや当日の段取りだけではなく、各方面への煩雑な届出や交渉まで覚悟せねばならない。
海岸清掃ボランティアを実施するにあたって、必要な手続きを挙げてみよう。
・実施日時と海岸清掃会場の決定
・ボランティア協力者の募集告知
・海岸清掃会場の管理者への届出
・自治体への届出、指定ゴミ袋の提供と回収したゴミの処分依頼
・ボランティア参加者の駐車スペース、トイレ所在の確認
・企業や団体への協賛依頼 
・実施後に管理者、自治体、協賛先への活動報告

 いかがであろう。よほどのお人好しの物好きのお節介焼きでなければ、「無償の社会奉仕をしようってのに、なんでこんなに面倒な手続きが必要なの? ヤメヤメ、や~めたッ!」となり、海岸清掃の主催や幹事など引き受ける気にはなれないだろう。かくして、善意の灯は点されず、行政の壁の前に消え去ってしまう事もあり得る。しかしながら、自治体が慎重にならざるを得ない場合もある事は承知している。例えば、表向きは「関係者以外立入禁止」となっているが、いわゆる"黙認釣り場"と呼ばれる場所があり、このような釣り場の海岸清掃には自治体として許可は出せないだろう。なにしろ「関係者以外立入禁止」なのだから、名目上は釣り人やレジャー客の放置ゴミなど存在しないはずであり、海岸清掃目的での立入許可などあり得ない事になる。とある筋に話を聞くと、「勝手に入り込んで、勝手に散らかしたのだから、勝手に片付けて、勝手に処分しなされ」との事。また、社会奉仕活動を隠れ蓑にして、カルト宗教教団や特定思想団体が勧誘活動を行う事もあるので、自治体としてはボランティア活動なら誰彼かまわずに許可か協力をするわけにはいかないのだろう、という話も聞いた。なるほど……。

【気遣い一つ】
 海岸清掃活動の際、海辺に来ていた一般釣り人やレジャー客に参加を呼び掛けるのは酷だと思う。ボランティア活動に参加していると、往々にして「自分たちは良い事をしているのだから、周囲も協力してくれて当然」などと考えがちだが、貴重な休日をレジャーで楽しむ目的でやって来たのに、いきなり清掃活動に参加してくれ、手伝ってくれ、と言われたら、言葉や顔に出さずとも不快な思いをするだろう。下手をすれば反発を招きかねない。かと言って、誰も彼もが無関心というわけではない。そこで主催者側も、ほんの少し彼らの心情を慮り、気遣ってあげればよいのだ。「帰る時に身の回りだけ片付けていってね」と、ゴミ袋を渡すのだ。ただし、渡すゴミ袋は通常のレジ袋サイズは好ましくない。心無い人は渡したゴミ袋を、そのまま放置していってしまう。これではビニールゴミを増やすだけで、本末転倒だ。40Lサイズなどの大型ゴミ袋を渡すと、大きすぎてその場に放置するわけにはいかなくなる。人間の心理とは不思議なもので、袋が大きいと身の回りのゴミを片付けるついでに、目に付いたゴミも自発的に拾ってくれる。

 さて、日本の釣り人口はおよそ1079万人(財団法人経済生産性本部「レジャー白書2007」)。仮に一人の釣り人が毎月1回釣行し、ほんの20gのゴミを放置・投棄したとすると年間で……、1079万×12×20g=2589.6t! これはもはや、迷惑というレベルを超えて災害と言えよう。悪意や罪の意識もなく、無意識にポイッとやった結果を計算してみると、とんでもない数字になって現れる。しかし、これを逆の観点から考えてみれば、釣り人一人がたったの20gのゴミを持ち帰れば、4tトラック647台分のゴミの山が消える計算になる。「言うは易く、行うは難し」という諺があるが、20gという単三電池1本、十円玉5枚にも満たない重さのゴミを持ち帰るのに、どれだけの手間が要ろうか。「言うも易く、行うも易し」ではないか。釣り人だけではなく、海水浴や潮干狩りなどのビーチレジャー客やマリンスポーツの愛好家にまで「20gのゴミ持ち帰り」を実行してもらえれば、海辺はかなり美しくなろう。面倒な届出や手続きも要らず、頑張りもお金も必要ない。ほんのチョットの気遣いだけで数千tものゴミが消え、海辺の町の海岸清掃予算も削減でき、きれいな海辺にはレジャー客も訪れよう。一石数鳥の効果が生まれるのだ。

 難しいのは自発的に気付き、思いついてこその気遣いであって、誰かに強制される事ではないという点だ。これは教育というレベルではなく、日常の中で醸成される感覚。はっきりと言えば"躾"である。この躾に年齢は関係ない。心ある者が率先垂範し、声高に叫ばずとも見た者が共感していけば、いずれは多くの釣り人、レジャー客が気遣うようになるだろう。私たち公認釣りインストラクターはその嚆矢となるべく、プライベート釣行でも海辺のゴミ拾いを続けている。

-「波となぎさ」'07年9月1日発刊 172号 掲載稿-

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YASU ・居眠釣四郎・眠釣
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