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釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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 真冬の寒風吹き荒ぶ海辺や港に立つ一般人と言えば、寒さにもめげない酔狂な釣り人、もしくは良からぬ事を企む者か自殺志願者と世間相場は決まっている。いずれにせよ、海岸や港湾の管理者や関係者からすれば有難くない人々であろう。健全なレジャー客が訪れる時期ではない事は確かだ。しかし、マリンレジャーの最盛期である夏には決して見る事のできない"透明度の高い海"を見るならば冬季に限る。低水温のおかげでプランクトンが減少し、東京湾、伊勢湾、大阪湾などの最奥部でも水深2メートルくらいまでなら陸上から観察できるほどだ。磯臭さや異臭も少なくなる。貝毒の発生する時期でもないので、禁漁区や漁業権の設定されていないエリアであれば、天然のカキや貝類を獲って賞味できるし、海辺の生物観察にはもってこいの条件なのだが、ジャブジャブと海に入ろうものなら間違いなく風邪をひいてしまう。さすがに海遊びはおすすめできないのだが、防寒に気を配った装いでの港湾周辺散策なら、関係者に迷惑を掛ける事もない。名古屋港周辺にありながら、訪れる人も少ない穴場を紹介しよう。



【初代名古屋港-七里の渡しと周辺の穴場-】
 宮本武蔵、柳生十兵衛、水戸のご老公様ご一行、秋山小兵衛・大治郎親子、眠狂四郎、そして弥次郎兵衛と喜多八……、実在した人物も架空の人物も含め、日本人なら誰もが知る英雄、豪傑、剣豪、剣客、お調子者の訪れた場所である。なぜって? 昔から熱田神宮のすぐ南側に位置する傾城町だったから……ではなくて、東海道は宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)までの七里(約28km)は海上ルートであり、迂回しようにも、尾張国(愛知県)と伊勢国(三重県)の国境には木曽・長良・揖斐の三大河川が行く手を阻んでいるため、東海道を旅する最短ルートだったからである。
 現在、七里の渡し跡は熱田湊常夜燈、時の鐘の鐘楼が置かれ、「宮の渡し公園」として整備されているが、伊勢湾台風で甚大な被害を受けた地域であり、その後の高潮防潮対策で防波堤が築かれたため港としては機能していない。周辺には宿場の雰囲気が感じられる建物もわずかながら遺されており、名古屋を訪れた際にはぜひとも立ち寄っていただきたい場所なのだが、冬季を除いては堀川の鼻を突く異臭に辟易とさせられてしまうのが玉に瑕。なればこそ、冬季に訪れるべき穴場と言える。

 七里の渡しから北側にかけては、熱田神宮の門前町として栄えた神戸町。「ザンギリ頭を叩いてみれば 文明開化の音がする」や「三千世界の鴉を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」で知られる、七・七・七・五調の都々逸(どどいつ)発祥の地である。西暦1800年に神戸町の宿屋に私娼を置くことが許され、傾城町の遊客の間で歌われたのが都々逸の始まりとされている。「都々逸発祥の地」の碑もすぐ近くの伝馬町にある。現在の神戸町には傾城町としての面影は残っていないが、名古屋名物ひつまぶしの名店「あつた蓬莱軒本店」があり、名古屋飯の代表格としてグルメの舌を楽しませている。話は少々脇にそれるが、脂っこいウナギ料理は冬場の食べ物であった。今では養殖ウナギが主流となり、一年を通して安定した品質のウナギが供給されているが、天然ウナギは10月から3月にかけてが旬であり、夏場のウナギは滋味に乏しい。真夏の土用丑の日に食されるようになったのは、脂っこいが滋味に乏しい夏場のウナギの売り上げ不振に困った鰻屋に頼まれて、「本日土用丑の日」なるキャッチコピーを十八世紀の半ば頃に平賀源内が考案してからの習慣だ。滋味豊かな天然ウナギを食するならば、やはり冬場である。

 さて、あつた蓬莱軒本店から北に進むと、源頼朝生誕地とされる妙光山誓願寺があり、頼朝公産湯の井戸が遺されている。本誌前号で頼朝公の父、源義朝最期の地として愛知県知多郡美浜町の野間大坊が紹介されているが、義朝公の正室は熱田神宮大宮司、藤原季範の娘の由良御前である。頼朝公は西暦1147年にこの地で義朝公の三男として生まれているのだが、鎌倉の生まれだと思っている方もいるほどだから、この誓願寺は穴場中の穴場。しかも現在は鉄筋コンクリートの二階建てというモダンな建物となっているので、国道19号線沿いにありながら、一般的な寺院建築のお寺だと思って探していてはまず見つけられない。目印は写真の山門と頼朝公生誕地の碑。誓願寺は尼寺で、第十八世の筧智清ご住職は気軽に言葉を交わしてくださる気さくな方である。


【古代熱田神宮-氷上姉子神社-】
 初代名古屋港とも言うべき宮の渡し周辺の観光スポットと言えば、熱田神宮は欠かせないのだが、ご神体である三種の神器の一つ草薙剣(くさなぎのつるぎ)、織田信長の桶狭間における戦勝祈願、宝物殿に蔵されている前田慶次郎(人気漫画「花の慶次」主人公)所用の太刀など、熱田神宮は有名すぎて穴場とは言えない。そこで草薙剣が最初に祀られた、"古代熱田神宮"とも言うべき神社を紹介したい。名古屋市緑区大高町に現存する氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)である。名古屋港潮見埠頭から車で15分足らず、国道23号線のすぐ脇に位置するのだが、参道入口が非常にわかりづらく、地元の方以外には存在さえ知られていない穴場である。この周辺の歴史は古く、古墳群があり、江戸時代中期頃までは海に面していた地域なので貝塚も見つかっている。また、晩秋から初冬に掛けては参道の紅葉と落葉の風情が素晴らしい。

 氷上姉子神社の創建は仲哀天皇の御代である西暦194年。千八百年以上の歴史を誇る神社である。縁起・由来はさらに古く、景行天皇の御代の西暦113年にまで遡る。古事記に記された、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と宮簀媛命(ミヤスヒメノミコト)のラブロマンスに始まる。日本武尊は素戔嗚尊(スサノオノミコト)がヤマタノオロチを退治された際に、ヤマタノオロチの尻尾から出てきた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を佩刀として東征の旅に出られた。途中、尾張水軍を率いる建稲種命(タケイナダネノミコト)に従軍を依頼するため尾張国に立ち寄られる。この時、日本武尊は建稲種命の妹、宮簀媛命と婚約なされる。建稲種命と宮簀媛命は、尾張国造である乎止与命(オトヨノミコト)の御子であらせられる。

 東征の途中、日本武尊は駿河国にて賊徒の火計によって窮地に陥られるが、天叢雲剣を振るって葦を刈り倒され、迎え火を放ち難を払われた。その地が現在の静岡県焼津市であり、天叢雲剣は「草薙剣」とも称せられるようになった。さらに東征を続けられた日本武尊は、走水(神奈川県横須賀市)で海神の怒りに触れてしまい、東征に同行していた弟橘比売(オトタチバナヒメ)が生け贄として海に身を投げて海神の怒りを鎮める。東国を平定されものの、弟橘比売を亡くされて失意の底にあった日本武尊がようやく陸路で尾張国の国境、内々峠(うつつとうげ)まで戻られたところに、海路で帰途につかれた建稲種命が伊豆沖で遭難死されたとの悲報が届く。尾張国に戻られた日本武尊は宮簀媛命と夫婦の契りを交わされるが、弟橘比売と建稲種命の想い出を胸に秘めておられたに違いない。宮簀媛命のご住居址が氷上姉子神社の元宮である。日本武尊は長期間この地に滞在なされていたと伝えられている。氷上姉子神社のある火上山は、日本武尊と宮簀媛命が哀しみと苦難の末に結ばれた、愛の神話の土地と言えよう。

 日本武尊は宮簀媛命に草薙剣を託されて、今度は伊吹山(滋賀県)の神に素手の闘いを挑まれるが、伊吹山3合目付近で毒気を含む大氷雨を降らされ、失神OK負けを喫してしまわれる。日本武尊のダメージは大きく、病の身となられながら本拠地の大和国を目指されるが、途中、真っ直ぐに立って歩く事もままならず、「わが足 三重の匂り(まかり=曲がり)なして いと疲れたり」と語られた地が、今日の三重県である。ついには伊勢国能煩野(のぼの:三重県亀山市)で「倭(やまと)は国のまほろば たたなずく青垣 山ごもれる 倭しうるわし」の歌を遺して身罷られ、白鳥の姿となられて宮簀媛命が待つ熱田の地に舞い降りられたと伝えられている。宮簀媛命は日本武尊を偲ばれ、託された草薙剣をしばらくはお手元に置いておられたが、尾張氏の祭祀を行っていた熱田神宮にお祀りされた。

 氷上姉子神社は、まさに「古代熱田神宮」と呼ぶにふさわしい神社と言えよう。有名な観光スポットではないが、地元の方々が氷上姉子神社に寄せる尊崇の念は厚く、"参拝客"は一人もいなかった。/訪れる/人々はすべて"参詣者"であり、鳥居をくぐる時点で深く頭を垂れ、本殿にお詣りする際も賽銭を投げ入れたりはしない。神様に対し奉り、投げ銭など不敬この上ない振る舞いだからだ。賽銭は賽銭箱にそっと滑らせるように納めて二礼二拍手、祈願を終えたら一礼、実に美しい姿でお詣りされていた。三歳の「髪置」で七五三詣に来られていたお嬢ちゃんにも、若いご両親がきちんとお詣りの作法と、ご神職の前での振る舞いを教えていた。

 なお、氷上姉子神社の神域の森はマムシが多く生息しており、境内や参道を外れて森の中に立ち入るのは厳禁。日本の神々は霊験あらたかなれど、不埒者には苛烈な神罰を下される。ましてや日本史上最高の英雄にして戦神たる日本武尊のご妻女であらせられる宮簀媛命が御祭神の氷上姉子神社。神話の森は今の世もなお、神威に護られている。

【アクセス】
七里の渡し周辺=名古屋駅から名鉄「神宮前」下車、周辺散策コースは徒歩2時間ほど
氷上姉子神社=愛知県名古屋市緑区大高町火上山1-3
       JR東海道線「大高」下車 徒歩25分
       名鉄常滑線「名和」下車 徒歩30分

-「波となぎさ」'08年1月31日発刊 174号 掲載稿-

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