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釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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 6月24日、7月1日と、中6日で二週連続のガン腫瘍摘出手術と言う、考えるのも恐ろしい状況を中央突破して、居眠釣四郎が生還しましたよ。誰だい、"死なずの眠釣"だなんて、ゾンビみたいなアダナをつけようとしてンのは!

 まァ、さすがに二週連続手術は骨身に応えた。毎週金曜お昼は手術の日、ってイヤすぎだよね。なにしろ8ヶ月も連続入院中で、その内6ヶ月で、35発の抗ガン剤をブチ込んだ身体で耐え抜いたンだから。抗ガン剤の副作用で手足は痺れと麻痺でにブラブラ、骨髄抑制による造血機能障害で、白血球は基準値の3/4、赤血球に至っては1/2以下に低下していたので、7月1日の手術は、400ccの全血輸血を受けながらの手術となった。

 手術直後~45時間までは、ツラく苦しい時間だった。特に7月3日の朝は、起きあがるどころか、口もきけない状態に陥っていたのだよ。鼻には酸素カニューラが差し込まれ、まさしく虫の息だったが、尿道カテーテルを抜き、胸部ドレーンを抜去してもらうと、猛然と生に向けての意欲が噴き上がってきた。

 D病院では、早期離床と言って、患者の容態にもよるが、手術の翌日か翌々日にはベッドを離れる様に指導される。看護師さんに支えられ、アイタ、イテテと涙目で立たされ、歩かされる。痛いのツラいのの泣き言は一切通用しない。

 第一目標は自立歩行。軽々クリア。第二目標はトイレに行ってオシッコの自力排泄。これもクリア。次は自力での連続歩行訓練。男眠釣、日頃の大言壮語の裏付けに、意地でもしっかり歩いて見せにゃならぬ。額に脂汗、腋と背中に冷や汗を流しながら、表情だけは涼しい顔で点滴台を杖代わりに歩く。内心はもう、吐きそうですよ。

 体力、生命力勝負の厳しい手術から生還はしても、男の意地を貫くってなァ、簡単なこっちゃないね、ってお話でした。

 ふっ、やっぱり、死なずの眠釣、不死身の眠釣、かもしれんね……。

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 今日は先週金曜日に続いて、またしても手術なんだが、手術室なんてトコは、まぁ、たいがいの人が一生に一度、行くか行かないか、ってな場所なワケだ。できりゃ一生行きたくない場所だわな。

 ところが自分の様な、多発性、転移再発性の高いガン患者なんかは、わずか半年で四度も五度も通ってくる、上得意客になっちまう。料亭でも、遊廓でも、同じ店に通い込んでいると、馴染みの芸妓ができ、主人や女将に板前も、愛想良く出迎えてくれるようになる。

 気の利いた店になると、一見客でも予約日や登楼日には、泊まりの部屋に朝から迎えの者を差し向け、着物を貸してくれて、着付けまで手伝ってくれるし、粗相のないように浣腸までしてくれる(笑)。前日には接待の芸妓の紹介や、店のしきたりの説明、ムダ毛の処理までしてくれて、板前が存分に腕をふれるよう、前夜から絶食絶飲させたり、下剤を飲ませたり、そりゃもう、至れり尽くせりなワケです。だからと言って、嬉しくも何ともないンだが……。

 自分が贔屓にしているD楼は、数年前に泊まり客用の棟を九層の大楼閣に建て替え、通い客用の別棟も新築した大店(おおだな)。このご時世に大層な羽振りだと、評判の店でね。

 今日の登楼は二週続けで、しかも五階と七階に8ヶ月も居続けの大盤振る舞い。もう、すっかり顔馴染みの客になっちまって、自分の子供くらいの年頃の、芸妓見習いの半玉(はんぎょく)さんの修業受け入れも頼まれたりしている。

 さぁ、今日は右肺心臓脇の腫瘍を料理して貰うんだが、どんなもてなしが受けられるか、身の毛がよだち、肌が粟立つほど、楽しみですよ、ってお話です。

 もぉ~、怖いったらありゃしねぇよぉ~!(´・ω・`)

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 ついに明日は決戦第二陣の敵本丸突入、右肺心臓脇腫瘍摘出手術なんだが、前回6月24日の第一陣と同じく、気持ちは落ち着いている。執刀医M山先生を始めとして、手術に携わるスタッフの皆さんに、全幅の信頼を寄せているからね。
 
 そりゃね、生き物としての本能で、手術は怖ェよ。が、それ以上にだ、まンだ死にたかねェ、って本能が働いてッかンね。これは未練だの何だのとは別モンで、家族や世間様のご迷惑にならねェように、キッチリと身の始末を着けてからじゃねェと、逝くワケにゃいかねェ、ってェのが居眠釣四郎の美学で御座候、ってお話でした。
 
 ま、美学だの、突っ張りだのなんぞより、治療を進めておいて、少しでも楽に死にてェから、なんだけどね。まだ、閻魔さんとも話をつけちゃいねェし(笑)。

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7月1日の右肺心臓脇腫瘍摘出手術の際、ついでと言ってはなんだが、右鎖骨下中心静脈に、埋め込み型カテーテル(通称・ポート)埋設手術もしてもらう事にした。  
 これを埋め込んでおけば、8ヶ月を超える長期入院と強いお薬によって、すっかり細く、脆く、沈み込んでしまった腕の静脈を苦労して探し、抗ガン剤や栄養剤の留置針を刺して貰う、手間と痛みから解放される。
 
 ガンってなァ、やっばり一筋縄じゃ退治できねェ、難敵で御座るよ、ってお話です。
 
 特に悪性度が高く、病期の進んだ末期ガンは、治療によるダメージも大きいからなァ……。

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 もう決戦第二陣手術の三日前になっちまったンだが、男前、男伊達を気取るなら、「なんのこれしき! チィとも怖かねェやな」と、大見得を切って見せにゃ、様にならん。が、やっぱり怖ェもんは怖ェね。まンだこないだの第一陣手術から、三日しか経っちゃいねェんだもんよ。
 
 生来、小心者の臆病者で、ツライ事があるとすぐに逃げ出す根性無しだからなァ。強がりは言ってみるものの、いっつも現行不一致(笑)。
 
 そんな自分でも、D病院の外科、呼吸器科の主治医の先生、腫瘍内科の先生、K病院の放射線外科の先生をはじめ、医療スタッフの皆さんが、全力で支えてくだすっている。家内の毎日の献身的な介護に、親兄弟に友人知人、先輩後輩、まだ会ったこともないネット仲間の皆さんからの声援。こんだけ大勢に囲まれてたンじゃ、逃げ出すことも、隠れる事もできゃしない(笑)。
 
 今までに何遍も書いてきたけど、そんなにご大層な道を歩んできたワケじゃないが、願えば叶う幸運な人生を目一杯楽しみ、大満足でしてね、次のサイコロを振ったら、「あがり」でも、チィとも惜しくねェ。これは強がりでも、はったりでもなく、本心なんですよ、ってお話です。

 あ、今、男前な事書いたな。に、してもだ、やっぱり手術は怖ェよ~。

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 6月24日の左肺と左背筋の手術から3日間、ろくに歩いていなかったので、またもや足が萎えて、ニワトリの足のようになってしまった。このままでは7月1日の敵本陣本丸への突入で、二日三日は寝たきりになるだろうから、さらに足萎えになってしまう。
 
 手術明け初日の一昨日から自立訓練を開始し、昨日には自立歩行の練習を開始。今日から本格的に、歩行訓練を開始だ。ベッド昇降はすでに完璧。切除した脊柱起立筋に負担のかからぬように、前傾姿勢をとらず、背筋を伸ばしたまま、太腿の大腿四頭筋で立ち上がり、座る。歩くときも、化学療法の副作用で、足裏では重心移動の変化が感知できないので、太腿にかかる負荷で重心移動を感知して、腰でバランスをとって歩く。

 文章にすると大変そうだが、人間ってなぁウマイ具合に出来ていて、筋肉や骨、神経に障害が起きても、一カ所やそこらなら、周辺の筋肉や器官、組織がカバーしてくれるそうだ。リハビリを諦めちゃいけないのだ。気合いだとか根性なんて、カビの生えた精神論や抽象論ではなく、ちゃんと道理と裏付けがあるのだよ。

 そんなワケで、痛くても、ツラくても、投げ出したらダメなんですよ、ってな説教がましい事を書いてみましたよ、ってお話でした。

 有言実行、今日はすでに2000歩以上歩いてますよ、っと、アイタァ~ッ!

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 ←「戦慄」の続き

 実はあまりの苦痛に、眠っている間に息が止まってくれた方が、良いとさえ思っていた。
 「息が止まっちゃうんだって」
折れかけた気持ちを現実に引き戻してくれたのは、家内の声だった。

 激しい痛みは相変わらずだが、生への執着心に火が点いた。
 「くそぅ、見苦しい! 格好つけたいンだけど、我慢する限度を超えてるンだ。ウググゥ……」
酸素マスク越しの苦鳴の下で、家内に言い訳がましいセリフを口にする。これが精一杯の虚勢だった。しばらくすると、自分について看護実習を行っている、看護学生のYさんが 「大変な手術、お疲れさまでした」 と、声をかけてくれたような気がするが、若いお嬢さんを前にしても、スカしたセリフのひとつもでなかった。

 手術開始は1時間押しの午後1時からだったが、所要時間は予定より1時間短い、3時間だった。自分には永遠とも思える、恐怖と激痛に苛まれる、地獄の悪夢みたいな3時間でしたよ、ってお話でした。

 まぁ、この手術当日から二日二晩、痛みに眠れぬ夜を過ごす事になるのだが、よくある話なので気が向いたら書くかもしれなかったり、しなかったり……(笑)。

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 6月24日の左肺新発病巣と左背筋内肉腫の手術は、予想をはるかに超えた大苦戦となった。昨年受けた右肺中葉切除手術とは、比較にならない痛みはもちろんだが、手術中にとんでもない事態に見舞われたのだ。

 それは、手術中に意識が戻ると言う、信じられない事態だった。麻酔による幻覚ではない。先生方の声がはっきりと聞こえ、今もちゃんとおぼえている。

 「よし、いくよ!」
の声と共に、ドサリと身体を転がされた。左背筋内肉腫の切除摘出手術が始まるのだ。
 「待ってくれ! 意識があるんだ、やめてくれ!」
必死に心の中で叫ぶが、声も出ないし、口も動かせない。

 全身に戦慄が走り、例えようのない絶望感に包まれる。かろうじて指先が動かせた! 祈るような気持ちで指先でモールス信号のSOSを打つ。気付いてもらえない。なんとか眼球が動かせた。が、まぶたは開かない。まぶたの内側で動かすも、やはり無駄か……、と思った時、
 「まぶたが動いてます」
と声が聞こえた。しかし、何か無意識の反射だと片付けられて、手術は続行。やはり無駄だった……。痛みはともかく、例えようのない恐怖と絶望感に、心が押し潰されていく。

 ツツーッ、ゾブリ、ゾブリ、と己の肉が切られ、抉られていく感触。凄まじい恐怖。意識を失ってしまいたいが、明瞭なままだ。苦悶しながら耐えているうちに、手術は終了。覚醒させられると、耐えようのない激痛が襲ってきた。

 気管挿管を手術室で抜かれ、おかしいと思っていたら、手術台から普通のベッドに移された。執刀医のM山先生の、「意識ははっきりしてるね」の声が聞こえたが、激痛に物も言えない。

緊急入院の重篤患者が出たらしく、ICUにもHCUにも運ばれず、今朝までいた外科病棟の個室にはこばれた。激しい痛みに、流石のナルシストオヤジも呻き続け、喘ぐ事しかできない。白い鎮痛剤の点滴が終わっても、まだ痛がっているようなら、沈痛麻酔薬のソセゴンに、精神安定剤のセルシンを混ぜて点滴投与指示を、M山先生が出している。どちらだったか忘れてしまったが、片方は半分量に、との指示に、思わず、
 「半分じゃダメ! 全部入れて!」
と、よけいな口を挟んでしまった。
 「全部入れたら、眠り込んじゃうよ」
「眠っちゃっていいです」
「これで眠ってしまうと、息が止まっちゃうけど?」
「……、そうですか」→続く

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 ついに手術当日を迎えたのだが、気が昂ぶって3時半頃に目が覚めてしまった。まんじりともせずにベッドでジッとしていたのだが、どうにも寝つかれず、起きてしまう事にした。手術開始予定時刻の正午まで、まだまだ時間があるので、チョイとD病院で手術を受ける際の作法を記しておこう。

 どこの病院でもそうだが、手術の前には様々なしきたりがあり、何一つとして蔑ろ(ないがしろ)にはできない。患者の取り違えや、手術部位の間違いが起きたら大変だからね。手術前日には手術部位周辺の除毛。自分の場合、左腋全体と左臀部上部から左腰周辺までをカミソリで丁寧に剃っておいた。そして寝る前に下剤と睡眠剤を服用。

 当日朝はいつも通りに午前6時に起床。7時にはオペ着に着替え、その後7時半に浣腸。5分くらい我慢するように言われるが、1分半が限度だね。出たモノは流さず、看護師さんに確認してもらう。8時半には研修医の先生が、点滴の留置針を刺しに来て、二回は失敗して患者に睨み付けられ、大汗をかいて先輩医師に替わってもらったりするワケだ(笑)。患者や手術の内容によっては、補液の生理食塩水やリンゲル液の他に、予備麻酔の軽い安定剤を点滴投与。午前11時過ぎには肺血栓症(いわゆるエコノミー症候群ね)予防のために弾性ストッキング着用。コレで足首周辺から足先を強く圧迫して、足静脈の拡張と血液の滞留を防ぐワケだ。ただし、自分は弾性ストッキングで皮膚がかぶれてしまうため、伸縮包帯をきつく巻いてもらうことになっている。

 これらの準備を済ませたら、手術時刻を待ち、いよいよ手術室へと向かう。D病院では歩ける患者は、看護師に付き添われて歩いて手術室へ。手術室の大木戸(実際は二重扉の最初の自動ドア)をくぐったら、ここで渡世人張りの仁義を切る(笑)。
 「お控えなすって!」
 「お控えなすって!」
 「お控えなすって!」
 「お控えなすって!」
  (※最初の挨拶は二度切り交わしてから、口上を述べるのが渡世人のしきたり)
 「早速のお控え、ありがとうござんす」
 「ありがとうござんす。お客人、御名をお聞かせくだせェ」
 「手前、生国は尾張国知多郡の産にて、居眠釣四郎と発します」
 「生国は不要でござんすが、承りやした。して、生まれの年月日は?」
 「昭和○○年○月○○日でござんす」
 「で、本日お運びの御用向きは?」
 「左肺と左背筋内に蔓延りたる腫瘍の摘出に罷り越しました」
 「しかと賜りやした。本日ご予定のお客人に間違いございやせん」
 「ありがとうござんす」
 「ささ、どうぞお通りくだすって」

 こうして屋敷(手術室)へと通されて、ここでまた人定め。
 「お客人、腕の証文切手(ネームバンド)を改めさしていただきやす」
 「こちらでござんす、どうぞ存分にご検分くだせェ」
  (※IDの登録されたバーコードをリーダーでピッ!)
 「ご無礼いたしやした。お客人に相違ございやせん。ありがとうござんす。
  ささ、ズィと奥へお入りンなってくだせェやし」
 「ありがとうございやす」
 「どうぞコチラの寝台にて横におなりになってくだせェ」
 「さればお言葉に甘え、横ンならして頂きやしょう」
ってな段取りで、手術台にのっかるワケだ。

 これが済むと手術室の看護師さんが酸素マスクを付けてくれて、麻酔医の先生が点滴を通して麻酔薬を注入。
 「お客人、ようと眠れるお薬を落としやす」
 「お頼み申します」
 「へい、では眠とぅなりやす」

 グッスリと眠り込んだのを確認して、執刀医の先生による手術開始。ここで、どんな手術が行われているのかは、患者の自分にはわからない(当たり前)。眠っている間にICUに運ばれ、そこで何度も名前を呼ばれ、麻酔から醒めさせらる。
 「お客人、お客人。起きてくだせェ。無事に終わりやしてござんすよ!」
 「う……、ぅぐふわ?」 
 (※物干竿くらいの太さの気管内挿管が入っているので、非常に苦しい)
 「今、気管の管を抜いて差し上げやすから、すぐに楽になりやすよ」
 「う……ぐ、ぐぅえッ!」 (楽になる)
 「モニターやドレーンの管が刺さってやすから、まだ動いちゃなりやせんぜ」
 「承知……しやした……」
 「痛みがひどいようでやしたら、遠慮無く仰せつけてくだせェ」
 「ありがとう……ござんす」

 ってなワケで、無事に手術は完了。この後は術後の傷の痛みとの闘いだ。

 さて、書くだけ書いたら気の昂ぶりも治まってきた。昨夜看護師さんに頼み込んで許可をもらった、手術前最後のシャワーでも浴びてきますかね。覚悟が決まり、肝が据われば、手術当日の朝でもブログを更新し、一ッ風呂浴びる余裕まであるモンですよ、ってお話でした。ICUに一泊した後、ストレッチャーか車椅子で病棟のHCU(ハイケア病床)個室に運ばれ、ある程度痛みが引き、容態が安定するまでお泊まり。ま、よほどの重篤患者でもない限り、一泊か二泊三日だね。

 ウォラァ~、命懸けで頑張ってくるぜぃッ! 鋭、鋭、応!(三回繰り返し)

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 いよいよ明後日が左肺腫瘍と左背筋内肉腫の手術なんだが、執刀医のM山先生から、「日常生活や執筆活動には不自由はしないけれど、仮面ライダーとかアクションの世界は無理です」 と宣告されている。まぁね、年も年だし、ほぼ引退状態だったし、この病気に罹ってから何のトレーニングもしてないから、諦めはつく……ってモンなんだが、先輩であり師匠である伊藤久二康さんと交わしていた、現場復帰の約束は守れなくなってしまった。リハビリを頑張り、久二康さんの指導でトレーニングを積めば、バック宙やバック転くらいは楽勝だと思っていたンだけどね。もう、二度と跳べない、変身できないと思うと、チト淋しい。いや、メッチャクチャ淋しい。

 思えば5歳の頃、ウルトラマン、ウルトラセブンに憧れ、10歳の頃には仮面ライダーに感激し、「いつかウルトラマン、仮面ライダーになりたい!」 と夢見たンだが、その夢は叶った。そして11歳の頃から釣りにハマり、「いつか釣り雑誌や新聞に記事が書ける、いっぱしの釣り師になりたい」 と願った。コレは小学校の卒業文集にも書いてある。この願いも叶い、釣り情報誌2誌に連載を持ち、スポーツ新聞や夕刊紙から寄稿依頼が来る様になった。40歳の頃、「お国のお役に立つような記事を書いてみたい」 と漠然とした思いを持っていたら、国交省関連の機関誌にコラムを書くようになれた。

 こうして己が人生を顧みれば、なんとも運の良い、願えば叶う幸運に恵まれた人生を歩んできたワケだ。普通、ウルトラマンだの仮面ライダーだの戦隊ヒーローだの、なろうと夢見てなれるモンじゃないよ。子供の頃の夢、で終わっちゃうわな。いっぱしの釣り師つったって、釣りマニア、ディープな釣り好きで行き止まりだよ。せいぜい釣り情報誌紙に釣行記を投稿して、採用されればラッキーってなレベルでしょう。それが自分は一度も投稿した事はない。釣行記やコラムは執筆依頼、寄稿依頼を受けて書く、連載記事は自分で企画を持ち込んで書く、ってな恵まれた環境を手に入れてきた。本当に幸せな男なのだよ。

 今現在はどうなんだ、って? それがだね、「毎日ゴロゴロ寝て暮らしたい。昼間ッから寝てても金が入ってくりゃいいのになァ……」 なんて考えていたら、叶っちまったよ。多種併発、多臓器転移の末期ガンで8ヶ月も入院して、毎日ゴロゴロしてても誰にも叱られない、むしろジッと寝てろと言われる身分になった。金はガン保険が入ってくる。元気に働いていた頃よりも、はるかに収入が増えちゃった。しかも夢の非課税だぜ。もうね、形はどうあれ、願ったり叶ったりなワケだ。

 次々と発症するガンにも、あの手この手で対応してくださる医療スタッフに囲まれ、家内には毎日、献身的な介護をしてもらい、みなさんからはお見舞いや応援の電話、メッセージ、メールを頂戴し、実に幸せな日々を送ってます。こんな幸せな身の上で、何の不満がありましょうや。てか、今すぐ死んじゃったとしても、変身できなくなって淋しいくらいで、何の未練もない50年を駆け抜けた、まさしく、「我が生涯に一片の悔いなし!」 ですよ、ってお話でした。

 うっしゃ、我が身の幸せを噛み締めながら、明後日の決戦第一陣、来週の第二陣を闘ってくるかァ~! 心の奥で陣触れ太鼓とホラ貝が鳴っておるわ。って、抗ガン剤の副作用による耳鳴りか(笑)。

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プロフィール
HN:
YASU ・居眠釣四郎・眠釣
性別:
男性
自己紹介:
釣りと動物と時代劇、時代小説をこよなく愛する、腰は低いが頭が高い、現代版「無頼浪人」にて候。
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