釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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依頼されていた訓辞原稿を某社に届けに行った。昨春入社した有名女子大卒の新人担当さんから義理チョコをいただき、鼻の下を伸ばしながら原稿の内容確認。「後藤又兵衛基次は一万五千石の所領を、弊履の如く打ち捨て……」という件(くだり)まで担当さんが読み進んだところで、
担当:「この『弊履の如く』って、なんて読むんですか?」
YASU:「え? 『へいりのごとく』ですよ?」
担当:「へーりって?」
YASU:「履き潰した草履の事です」
担当:「今時、ぞーりなんて履かないでしょう」
YASU:「いや、現代は靴だけど、これは慣用句ですから」
担当:「慣用じゃないですよ~。だって、私知らないもの」
YASU:「……。じゃ、『惜しげもなく』と置き換えましょうか」
担当:「んふッ。YASUさんって、案外ボキャブラリー貧困ですね♪」
YASU:「テメー、表へ出ろッ!」
――と、言いたいのを辛うじて堪え、にこやかに、
YASU:「あぁ、そうだ。○○人事課長にお越し願えるかな?」
担当:「○○課長さんの方は、今日は外出されてます」
YASU:「……、では、△△総務部長にお目通り願いたいな」
担当:「部長さんを釣りの方に誘うんですか?」
YASU:「ううん、君を担当から外す様に進言する」
担当:「 Σ(゚Д゚;ナンデッ!? 」
これから、こんな無知、無教養、非常識で、日本語の不自由な若者が続々と社会に出てくる。ゆとり教育世代はもっとひどいらしい。日本の将来は暗い……。
担当:「この『弊履の如く』って、なんて読むんですか?」
YASU:「え? 『へいりのごとく』ですよ?」
担当:「へーりって?」
YASU:「履き潰した草履の事です」
担当:「今時、ぞーりなんて履かないでしょう」
YASU:「いや、現代は靴だけど、これは慣用句ですから」
担当:「慣用じゃないですよ~。だって、私知らないもの」
YASU:「……。じゃ、『惜しげもなく』と置き換えましょうか」
担当:「んふッ。YASUさんって、案外ボキャブラリー貧困ですね♪」
YASU:「テメー、表へ出ろッ!」
――と、言いたいのを辛うじて堪え、にこやかに、
YASU:「あぁ、そうだ。○○人事課長にお越し願えるかな?」
担当:「○○課長さんの方は、今日は外出されてます」
YASU:「……、では、△△総務部長にお目通り願いたいな」
担当:「部長さんを釣りの方に誘うんですか?」
YASU:「ううん、君を担当から外す様に進言する」
担当:「 Σ(゚Д゚;ナンデッ!? 」
これから、こんな無知、無教養、非常識で、日本語の不自由な若者が続々と社会に出てくる。ゆとり教育世代はもっとひどいらしい。日本の将来は暗い……。
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元大野剣友会 Michi Yamatoです
はじめまして。突然メールいたします。高木さんの記事をみて、こちらを見つけました。
ブログ見ていただければ幸いです。レッドアクションの前田さんとも懇意にさせて頂いています。
機会があったらどこかでお会いできればいいですね。
ブログ見ていただければ幸いです。レッドアクションの前田さんとも懇意にさせて頂いています。
機会があったらどこかでお会いできればいいですね。
拝見いたしました
拙文をご覧いただき、ありがとうございます。早速、Michi様のブログを拝見いたしました。
自分は才能に見切りを付け、別の道を歩んでいますが、今でも当時の仲間や先輩方、後輩とは公私ともにお付き合いを続けています。同い年の前田さんが未だに現役の第一線に立ち、仮面ライダーや牙狼の魔戒騎士を演じているのが羨ましくもあり、嬉しくもあります。前田さんは現在、アクションスクール『OLD SCHOOL FACTORY』を立ち上げ、後進の育成に励んでいます。
時代の流れに "if" はありませんが、高木政人さんがご存命ならば、やはり大野剣友会を背負い立っていたのではないかと思います。あれから20年以上の年月が流れましたが、高木さんの魂魄は今も自分達の胸の中にあり、これからも様々な機会を通じて語り継がれていくと思います。
お会いできたら「高木さんを偲ぶ会」を開きたいですね。
自分は才能に見切りを付け、別の道を歩んでいますが、今でも当時の仲間や先輩方、後輩とは公私ともにお付き合いを続けています。同い年の前田さんが未だに現役の第一線に立ち、仮面ライダーや牙狼の魔戒騎士を演じているのが羨ましくもあり、嬉しくもあります。前田さんは現在、アクションスクール『OLD SCHOOL FACTORY』を立ち上げ、後進の育成に励んでいます。
時代の流れに "if" はありませんが、高木政人さんがご存命ならば、やはり大野剣友会を背負い立っていたのではないかと思います。あれから20年以上の年月が流れましたが、高木さんの魂魄は今も自分達の胸の中にあり、これからも様々な機会を通じて語り継がれていくと思います。
お会いできたら「高木さんを偲ぶ会」を開きたいですね。