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釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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 歴史絡みの仕事の調べ物をしていて、名古屋市緑区の有松まつり(毎年十月第一日曜日)の資料を読んだ。有松まつりには、布袋車(ほていしゃ)、唐子車(からしゃ)、神功皇后車(じんぐうこうごうしゃ)の三台の山車が出る。この山車にからくり人形が鎮座ましましていて演技をする。

 神功皇后(西暦170年-269年)は、仲哀天皇のお后様。西暦200年に三韓征伐として朝鮮半島に出征なされるのだが、神功皇后はお腹に後の応神天皇となられる、仲哀天皇のお子を宿しておられた。熊襲征伐で仲哀天皇と共に九州に赴いておられた時に、神功皇后が「西方に金銀輝く財宝満つる国がある」との神託を得られ、朝鮮出征をお決めになられた。で、その出征の吉凶を占われたのだが、その占い方法が "鮎釣り" だった。釣り場は佐賀県東松浦郡浜玉町南山の玉島川。釣法がこれまた、なんともスゴイ。弓を釣り竿に、釣り糸は裳裾をほどかれた糸、釣り針は冠の飾りをお使いになり、エサはご飯粒をお付けあそばした。それで鮎をお釣りになったと。



 神功皇后は熊襲を平定され、熊襲平定戦中に仲哀天皇が崩御されたため、朝鮮には自ら兵を率いて出征なされて、新羅・百済も平定されている。遠征軍を率いて朝鮮に向かわれる際、お腹の赤ちゃん(後の応神天皇)に、「しばらくはお出まし無用にて願います」と、朝鮮出生中にはお生まれにならないようにお願いされたとか。"出征" で "出生" を延期なされた神功皇后……。恐れながら申し上げたい。「女傑ッ!」

 で、有松まつりの神功皇后車(じんぐうこうごうしゃ)に鎮座まします神功皇后のからくり人形は、鮎釣りをするシーンをば演じる。今から1800年以上前に、鮎を釣った女性がいたというのはスゴイ。古事記・日本書紀・万葉集にも記載されているし、『神功皇后魚釣の岩』として注連縄を掛けた遺跡も残されている。しかも、昭和の半ば頃まで、玉島川では鮎の解禁日は、「男子禁制」で女性しか鮎を釣ってはならないとされていた。佐賀の男性鮎釣りファンはよく我慢していたモンだなぁ。

 っとまぁ、そんな伝承や記紀の記述、遺跡の存在、近代まで伝わる風習からしても、神功皇后が日本初の女性アングラーであらせられるに違いない。2007年の有松まつりは10月7日。こりゃぁ、実物の山車を見に行かねば!

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YASU ・居眠釣四郎・眠釣
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釣りと動物と時代劇、時代小説をこよなく愛する、腰は低いが頭が高い、現代版「無頼浪人」にて候。
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