釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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赤熊、黒熊、白熊……、と言っても、森にいる熊さんの種類ではなくて、幕末の官軍指揮官が被っていた、連獅子の鬣(たてがみ)みたいなアレの事です。赤熊は土佐、黒熊は薩摩、白熊は長州と、前線に出ている兵士に遠目にも自分の指揮官がわかりやすいように被ったって代物なんだが、あれは江戸城無血開城で蔵に大量保管されていた、チベット産のヤクの毛を官軍が戦利品として分捕って使い始めたもので、鳥羽伏見の戦いなど、江戸城開城以前の官軍が着用しているのはおかしいんだが、まぁ、官軍のイメージで着用しちゃってたりするドラマもあるようです。呼称も赤、黒、白で別なわけで、「赤熊=しゃぐま、黒熊=こぐま、白熊=はぐま」です。だから「黒いしゃぐま」とか「白いしゃぐま」ってのは、「黒い白髪」と言ってるみたいなモンで、もう、まったくあり得ないんだけど、これも曖昧に使われていますな。まぁ、統一名称がないと不便なので、便宜的にどれもこれも「シャグマ」と呼んじゃってる状態です。ついでに江戸中期以前に日本人が木綿の着物を着ているのもあり得ない。
この他にも、刀の差し方なんかもいろいろとあって、時代によっても違うし、装束によっても違うし、武士の差し方、浪人の差し方とかもあるわけですよ。それに近世までの日本では、歩行者は左側通行。左の腰に刀を差しているから、右側を歩いていると鞘当てが頻発して、喧嘩だらけになっちゃうからね。揉め事を起こさない知恵ですな。武士のしきたりが確立され、厳格に守られていた江戸時代には、何が何でも刀は左腰に差さなきゃいけなかった。子母沢寬先生の『新撰組始末記』 では、新撰組七番隊長・谷三十郎暗殺事件で、「左利きの剣士の犯行」という件があるんだが、刀疵で犯人が右利きか左利きかはわかりません。2002年の新春時代劇ドラマで放映された 「壬生義士伝」では、斉藤一が左利きの剣士として右腰に刀を差しているんだが、これは絶対にあり得ないわけです。もう、右利きだろうが左利きだろうが、絶対に刀は左腰。実在の人物じゃないけど、あの右腕のない "独眼隻腕の剣士、丹下左膳" だって、左腰に差した刀を独自の方法で左手で抜刀しているわけですよ。これ、実際にやってみると非常に難しいです。抜刀以上に難しいのが納刀。抜くよりも鞘に刀を納めるのは至難の業。丹下左膳役を務めるのは大変ですぞ。
話を元に戻す。武士は歩く時に手を前後に振ったりしなかった。両手はぴたりと腿に添え、膝を少し曲げてすり足気味に歩く。後ろから見ても、草履の裏側が見えない歩き方です。それと、武士は決して走らない。大急ぎの時は馬に乗るので、走る必要はなかった。少し急ぐ時は、普段よりも歩幅を狭めたすり足で、スササササッと足を運んで歩いた。長距離の移動を必要とする場合は、「なんば歩き」という歩行法を使ったんだが、これは能や歌舞伎、相撲、柔道、剣術などの運足にみられる二点重心の歩行法。佐川急便の旧ロゴマークの飛脚の姿にあるように、踏み出した足と同じ側の手が一緒に前に出ます。じゃないと張り手の威力は半減しちゃうし、相手の奥襟を掴めないし、剣の間合いが遠くなってしまう。振り返る時も身体を捻ったりしない。能や狂言で見られる「開き」という動作で、足を使って身体ごと振り返るわけです。当時はこういう歩き方だったし、動き方だったんですよ。マジで。現代日本人でも、この歩行法で歩く人がいるんですけどね、身近に。あんよが上手になったばかりの幼児です。つたい歩き、つかまり歩きを始めた幼児の歩き方は、手は振らないし、すり足ですな。人間本来の動作に適っているのは、すり足の和式歩行なのかも。
で、こういった和式の所作・動作を現代で実践すると、間違いなく 「なんだ、アイツ?」と奇異な眼で見られます。時代劇で出演者がこんな動きをしていたら、観客や視聴者は物語よりもそっちが気になってしょうがない。映画や舞台だったら興行が成り立たなくなっちゃう。だからある程度は現代的なアレンジを加えて、時代考証も厳密に過ぎないようになってます。さすがに水戸黄門のお銀(由美かおるさん)が、「八っつぁん、ファイト!」って言うのはマズイけど(笑)。
この他にも、刀の差し方なんかもいろいろとあって、時代によっても違うし、装束によっても違うし、武士の差し方、浪人の差し方とかもあるわけですよ。それに近世までの日本では、歩行者は左側通行。左の腰に刀を差しているから、右側を歩いていると鞘当てが頻発して、喧嘩だらけになっちゃうからね。揉め事を起こさない知恵ですな。武士のしきたりが確立され、厳格に守られていた江戸時代には、何が何でも刀は左腰に差さなきゃいけなかった。子母沢寬先生の『新撰組始末記』 では、新撰組七番隊長・谷三十郎暗殺事件で、「左利きの剣士の犯行」という件があるんだが、刀疵で犯人が右利きか左利きかはわかりません。2002年の新春時代劇ドラマで放映された 「壬生義士伝」では、斉藤一が左利きの剣士として右腰に刀を差しているんだが、これは絶対にあり得ないわけです。もう、右利きだろうが左利きだろうが、絶対に刀は左腰。実在の人物じゃないけど、あの右腕のない "独眼隻腕の剣士、丹下左膳" だって、左腰に差した刀を独自の方法で左手で抜刀しているわけですよ。これ、実際にやってみると非常に難しいです。抜刀以上に難しいのが納刀。抜くよりも鞘に刀を納めるのは至難の業。丹下左膳役を務めるのは大変ですぞ。
話を元に戻す。武士は歩く時に手を前後に振ったりしなかった。両手はぴたりと腿に添え、膝を少し曲げてすり足気味に歩く。後ろから見ても、草履の裏側が見えない歩き方です。それと、武士は決して走らない。大急ぎの時は馬に乗るので、走る必要はなかった。少し急ぐ時は、普段よりも歩幅を狭めたすり足で、スササササッと足を運んで歩いた。長距離の移動を必要とする場合は、「なんば歩き」という歩行法を使ったんだが、これは能や歌舞伎、相撲、柔道、剣術などの運足にみられる二点重心の歩行法。佐川急便の旧ロゴマークの飛脚の姿にあるように、踏み出した足と同じ側の手が一緒に前に出ます。じゃないと張り手の威力は半減しちゃうし、相手の奥襟を掴めないし、剣の間合いが遠くなってしまう。振り返る時も身体を捻ったりしない。能や狂言で見られる「開き」という動作で、足を使って身体ごと振り返るわけです。当時はこういう歩き方だったし、動き方だったんですよ。マジで。現代日本人でも、この歩行法で歩く人がいるんですけどね、身近に。あんよが上手になったばかりの幼児です。つたい歩き、つかまり歩きを始めた幼児の歩き方は、手は振らないし、すり足ですな。人間本来の動作に適っているのは、すり足の和式歩行なのかも。
で、こういった和式の所作・動作を現代で実践すると、間違いなく 「なんだ、アイツ?」と奇異な眼で見られます。時代劇で出演者がこんな動きをしていたら、観客や視聴者は物語よりもそっちが気になってしょうがない。映画や舞台だったら興行が成り立たなくなっちゃう。だからある程度は現代的なアレンジを加えて、時代考証も厳密に過ぎないようになってます。さすがに水戸黄門のお銀(由美かおるさん)が、「八っつぁん、ファイト!」って言うのはマズイけど(笑)。
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