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釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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 BJスナイパーだ、BJ85だ、サーフリーダーSFだ、レブロスだ、バイオマスターだとBBSに書いていたら、「じゃぁ、理想の釣具って一体何ですかい?」ってメールをいただいた。性能、精度、使い易さ、価格など様々な条件はあるけど、釣具に限らず、「モノ(製品)としての基本とは何か?」を考えれば、「壊れにくく、直しやすい製品」だと思う。

 日本メーカーの作る釣具は、中学生がお年玉で買えるクラスの釣具なら、実に高精度で高性能だし、耐久性も充分。購入してから5年間、一度も手入れをしていないリールだって、多少キコキコ音が出ても、水没させたり、砂まみれになったりしていない限りは、使い物にならなくなる様な事はない。ってか、釣具をこまめに手入れしている方が少数派だろう。本当に今のミドルクラス以上の釣具は頑丈に出来ている。

 ところが、いざ調子が悪くなった時に、誰でもサッと直せるかと言うと、さにあらず。リールなどは精密機械のように細かな部品が、複雑な順序で組み上げてあるから、うっかりバラしちゃうと元に戻せない。高級釣具になればなるほど、構成部品数が増え、構造も複雑になっているし、工具も各番手を用意する必要がある。さらには軽量化のためにアルミやマグネシウムなどの、脆い材質を使用しているので、工具の精度が低いとネジ山がつぶれてしまうし、力加減を間違えると、ねじ切れてしまったりもする。こうなると、素人は恐ろしくて手が出せない。へたに分解すると "いじくり回す" ではなく、"いじくり壊す" 羽目になる。(自分など、何度これで泣いてきた事か……)

 性能・精度・耐久性は、現在のミドルクラス釣具なら充分。これからは、いかに早く、簡単に、安く直せるか、だと思う。メーカーに修理やメンテナンスを依頼すると、早くて2週間、込み入った修理になると1ヶ月はかかる。シーズン中に、主力として使っている釣具が1ヶ月も手元に無いんじゃ話にならない。できることならば、交換部品の供給をもっと円滑に、かつ迅速にして欲しいし、アッセンブリーやユニットでの供給も検討してもらえると嬉しい。これなら釣具店の店頭でも、ササッと交換修理が可能になる。それと、交換パーツがやたらと高価なのも何とかならんものだろうか? 実売1万円程度のリールの替スプールが5800円もしたり、クーラーボックスのカバーが8500円、工作機械屋で300円程度のベアリングが600円ってのは、いくらなんでもボッタクリすぎじゃないかと思う。

 ともかく、保守性にも気を配った製品が出てきてくれるとありがたい。メーカーの立場からすれば、買い換えか新規購入してもらわないと儲からないのだろうが……。

 あぁ、現行製品で理想的なお買い得釣具を挙げるのを忘れていた。個人的にはミドルクラスなら、シマノの'05バイオマスターとダイワのレブロスはオススメリールだと思う。'02ツインパワー、カルディアKIX、'03アルテグラ、フリームスKIXのユーザーが、スペックと価格を見たら歯噛みして悔しがるほどの出来の良さ。新製品のレブロスはとりあえず人柱になるつもりで買ってみたが、実売6615円、替スプール2625円。ナイロン3号150mとPE1号150mを巻いて総額13000円程度。実釣フィーリングは極めて良好。リーリングは滑らかだし、ボラを掛けて引っ張り合いをしてみたが、ドラグの利きも良し。ラインが若干だが逆テーパー気味に巻かれるので、気になる様なら雑誌の表紙程度の厚みの紙でスプールワッシャーを自作して追加すればきれいに巻ける。ちなみに、アルテグラやフリームスKIXよりも定価ベースで5000円ほど安く、かつ要所要所に5個のベアリングが使用してありながら、自重は260gと上位の両機種よりも軽いのがレブロス。港湾部での釣りなどにベストチョイスのリールだと思う。

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 「武士道とは死ぬことと見つけたり」の件(くだり)で有名な『葉隠』。昭和の軍部によって玉砕や自決の名目に祭り上げられてしまったが、本来は「常時、死に臨む覚悟で懸命に生きるべし」という箴言である。この『葉隠』には、武士の心得だけではなく、武士の生活規範やノウハウも記されている。面白いところでは、現代で言うところのホモセクシャル、衆道についての手ほどき(?)まで語られている。「武士の死に犬死になど無い。ただひたぶるに死に狂え」といった過激な描写もあるが、玉砕、自決を潔しとした昭和軍部の曲解とはまったく違う、「義に則り、武士の面目と意地、主家を守る為」という有事の際の心得が前提になっている。『葉隠』を読み込んでいくと、現代の日本人が忘れてしまった、良い意味での意地や意気地、廉恥、報恩、無私の精神などが語られており、自らを省みるに最適の書である。岩波文庫から出ている『葉隠』(上・中・下)は、良く言えば読み応えがあるが、ストーリーの時系列がめちゃくちゃに前後しており、切腹した人物が再登場したかと思うとまた切腹したりで、小説や読み物として取りかかると、読み手は混乱してしまう。あくまでも、武士の心得を登場人物に辿らせている「心得集」「箴言集」として読み進めなければならないので、歴史好きの読書好きでもないと少々ツライ。かなりデフォルメされているが、隆慶一郎先生の娯楽時代小説『死ぬことと見つけたり』(上・下)から入ると、本編も読んでみる気になれるだろう。『死ぬことと見つけたり』は執筆中に隆慶一郎先生が逝去されたため、未完作品となっており、本歌である『葉隠』への興味を一層かき立ててくれる。
隆慶一郎=脚本家、時代小説作家。人気漫画「花の慶次」の原作者と言えばわかりやすいだろうか。

 さて、このように優れた武士の道徳規範、武士の思想的な柱石が生まれたのは、江戸でも、尾張でも、紀州でも、水戸(水戸黄門こと、水戸光圀による水戸学は同じ頃に興っているが、こちらは尊皇思想)でもない。肥前(現在の佐賀県)鍋島藩の藩士、山本常朝が語った武士の心得である。山本常朝なる人物は、今で言う "侍ヲタク" もしくは "侍バカ一代" とでも呼ぶべき人物。武士が武士たり得るには、人が人たり得るには、恩と義に報いるには、慈悲と情けとは、etc……。ひたすら誇り高き武士としての生き様、死に様を思い考え、自ら語るサムライ哲学に「我もかくありたし!」と身を揉んでいたように思えてくる。

 鍋島藩の武士は、「武士は喰わねど高楊枝」などと、貧窮にあえぐ身を儒教に寄りかかって自己欺瞞していた貧乏旗本や御家人、あるいは諸国の浪人とは、まったく違っていたようだ。鍋島藩は役を解かれて浪人しても、他国に出る事(他藩への仕官)は禁じられていた。国元にあって、有事の際は兵として合戦に赴くことが義務付けられていたという。現代で考えれば、リストラで会社をクビにしておきながら、再就職を禁じて、繁忙時には出て来いと言うようなもの。こんな虫の好い話はない。と、考えるのは武士として心得違いとするのが『葉隠』の肥前鍋島藩。他国に出さず国元に置くのは、一朝事あらば馳せ参じて不面目を雪ぐ(すすぐ)チャンスを与えているのだ。だから、国元に置いたまま浪人させられるのは、殿様の慈悲深いお仕置きであると心得よ、と説いている。物は言い様、考え様……と思ったが、実際に島原の乱では鍋島藩の浪人達が死を恐れぬ勇猛果敢な戦い(死に狂いの奮戦)をして面目を施しているのだから、あながち詭弁とは言えないようだ。

 その佐賀県は現代において、お笑い芸人ハナワのネタで一躍有名になったが、あまり良い意味で有名になったとは言い難い。「田舎」。それも "ド" が付く、文化・経済の後進地として笑い飛ばされている。「ちょっと待て!」と言いたい。思想的には『葉隠』を生み、文化工芸品としては『唐津焼』を生み、名刀工『肥前忠吉(勝海舟の佩刀)』を生んだ地ではないか。政治的にも、幕末には薩長土肥の連合を組み、江藤新平、大隈重信らの明治の元老を輩出している。自分は佐賀とは縁もゆかりもなく、佐賀出身の知人もいないが、『葉隠』をきっかけに佐賀の歴史を拾ってみると、化け猫騒動を含めて、佐賀は日本人の日本人たる骨頂を示す土地柄だったでのはないか。機会があれば佐賀の地を訪ね、鍋島武士の心意気を遺す人士と話をしてみたいものだ。

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 手軽で安全に釣りを楽しめる釣り公園。各地に続々と開設され、あるいは開設準備が進められており、陸っぱりファンには嬉しい話だ。釣り公園には様々な利用規則が設けられているが、竿は何本までとか、コマセの使用制限など、規則と言うよりもマナーを明文化した程度で、多くの釣り公園ではさほど厳しい利用規則は設けていない。利用規則が厳しすぎて釣り人がいないという釣り公園もあるが、規則が細かく禁止事項が多いという事は、管理者と利用者の信頼関係が歪になっている証拠だ。釣り公園の管理者は設備管理と安全管理が主な仕事であって、釣り指導や初心者の手ほどきなどは行わない。つまり、一日を楽しく過ごせるかどうかは利用者である釣り人次第と言える。

 静岡県・新居弁天海釣公園('77年開設)管理者は「規則で利用者を縛りたくはない。むしろ利用者同士で良い雰囲気を作ってもらい、釣りの楽しさはもちろん、初心者やお子さん方が釣りマナーや安全釣行の心得を学ぶ場にして欲しい」と語り、愛知県・名古屋港海づり公園('92年開設)管理者は「釣法の多様化で釣り座の棲み分けが必要な時代になってきた。また、利用者には釣り場の環境保護を考えた釣りをして欲しい」と語る。両釣り公園とも、入場無料、24時間開放、管理棟を兼ねた休憩施設、トイレ、手洗場、飲物の自動販売機が設置され、転落防護柵、救命浮輪、救護ロープなど安全設備も完備。車イスでの利用も可能なバリアフリー設計であり、日中は管理者が常駐する。また、目に見えない配慮として人工漁礁が入れられており、クロダイ、スズキ、メバル、アイナメ、カサゴ、シロギス、カレイ、マゴチ、マダコなど、四季折々の多彩な釣魚に恵まれている。特筆すべきは、年間利用者数13~20万人という多くの釣り人を迎え入れながら、開設時から死傷事故はゼロを誇る。まさに理想的な釣り公園だ。
 最近新設された福島県・小名浜アクアマリンパーク内の釣り区域は、利用状況を見て継続するかどうかを検討するという条件付き暫定開放。利用者のマナーや安全意識などが試されているのだと考えて欲しい。静岡県・熱海港海釣り施設は高波事故で計画が中断した経緯があるだけに、ライフジャケットの無料貸与など、安全管理には神経を使っている。

 釣り公園の未来も、釣り人のマナー、モラル、安全意識で決まる。あなたはどんな釣り公園を望みますか?

-海悠出版「磯・投げ情報」'05年7月号コラム掲載稿に加筆修正-

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 釣りは『誇るべき日本の文化』であり、『国民的レジャーの雄』であると、私は信じて疑わない。しかし近年、釣り人は水辺の厄介者のレッテルを貼られかけている。その厄介者の釣り人も、釣り場を離れればごく普通のサラリーマンであり、家庭人であり、善良な一市民であって、問題行為をしでかすような人々ではない。ところが、釣り竿を片手に海辺に出ると、分別をわきまえたいい大人でありながら、ゲートを突破し、フェンスを破り、柵を乗り越えていく破落戸(ならず者)に変貌する。こんな馬鹿げた事をしでかすのは釣り人くらいなものだ。しかし、なぜ? それはひとえに、釣りが "遊び" であるが故。仕事であれば世のしがらみ、大人の事情などを察して我慢も妥協もしようが、事が遊びとなると、規制理由を心から納得するか、自分が罰せられて懲りるかでもしない限り、聞き入れる事はないのだ

 例を挙げてみよう。徳川五代将軍綱吉の『生類憐れみの令』が布かれた1685年から1709年。よりによって千代田城(江戸城)のお堀で釣りをした武士がおり、切腹は免れたが、減封という厳しい処罰を受けている。また、キス釣り針の考案者として後世に名を残した阿久澤弥太夫という武士も、禁制を破って釣りをしているのがバレて捕縛されている。この他にも、入牢や謹慎を申し渡された釣り好きの武士は何人もいる。町人に至っては、数え切れないほどいたであろう。
 生類憐れみの令廃止後も、職漁以外の釣りは禁止され続けたが、釣り人はあの手この手で竿を出した。日中おおっぴらに釣りをしていては捕まってしまうので、夜の闇に乗じて釣りをする。江戸城のお堀や浅草妙音寺など、釣り禁止の場所で竿先に鈴を付けた「脈釣り」「投げ釣り(投げ込み釣り)」と称した隠れ釣りが流行した。禁を破れば罰金どころか死罪もあり得る時代。それでも釣り人たちは竿を出し続けていた。
 その一方、伊勢の阿漕浦では伊勢神宮への献納漁を行う以外は、漁民でさえ殺生禁断を守り続けていた。お上による一方的規制は、死罪という厳罰をもってしても効果は薄く、納得いく理由があれば、庶民は道徳的規範として自発的に守るという証拠だ。

 さて、それから300年の時を経た現代。2004年7月1日の改正SOLAS条約発効に伴い、主要貿易港の保安体制が強化された。しかし、半月と経たない内に秋田県能代港でテロ対策のための有刺鉄線が切断されている。北羽新報2004年7月13日の記事で、能代港湾事務所の三浦忠悦所長は「どういう意図で有刺鉄線を切断したのかは分からないが、今後は厳しく対応せざるを得ない。立入禁止といった規制強化を理解してほしい」と語っているが、わかりやすい理由説明も無しに、理解しろというのは無理だ。静岡県清水港のように、事前に「テロ防止を目的とした国際条約の改正に従い、港湾の保安体制を強化する。保安基準に満たない港から出港した船は、寄港予定地で入港を拒否される可能性があるので、一般市民の立入規制が厳しくなる」と、SOLAS条約に基づく規制強化を説明したチラシを作り、周辺の釣具店や釣餌店でも配布するなど、市民の理解を求めるべきであった。建前で言えば、従来から各地の貿易港のほとんどの岸壁は「関係者以外立入禁止」となっていたが、市民の理解と協力を期待するならば、わかりやすい説明と幅広い告知が必要であると言えよう。釣り情報誌、釣具メーカーのサイトやメールニュース、釣具店での広報チラシ配布など、関連業界に協力を仰いでの告知が最も効果的ではないかと思う。

 SOLAS条約発効から2年。未だに港湾の保安強化理由を理解していない市民は多い。願わくは、今後は規制の理解を求めるだけではなく、市民の規範意識に訴えかけるようなわかりやすい説明と充分な周知期間を設けていただきたい。それが行政サービスというものだと私は考える。

-「月刊港湾」'06年7月号コラム掲載稿に加筆修正-

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 歴史を大きく動かした「その時」には、その瞬間の人々の決断や苦悩のドラマがあります。今日の「その時、釣り場が消えた」は、日本全国の主要貿易港から釣り場が消えた「その時」をご紹介します。

 時は西暦2001年9月11日。テロ組織アルカイダが旅客機を乗っ取り、米国ニューヨークの国際貿易センタービルに突入。そして、テロ別働隊は米国国防省、ホワイトハウスにも突入を敢行します。世界はテロの恐怖に震撼し、国際テロへの警戒を余儀なくされます。そして、船舶・港湾を通じた国際テロの阻止に向けて、SOLAS条約(ソーラス条約:海上における人命の安全のための国際条約)の改正に動きます。
 テロとの戦いを宣言した米国ブッシュ大統領は、フセイン政権下にあるイラクをテロ国家とし、イラク戦争開戦に踏み切ります。米国の同盟国である日本はイラク戦争を支持。イラク復興支援の名目で自衛隊をイラクに派遣します。しかし、この戦争支持と自衛隊のイラク派遣はテロ組織アルカイダを刺激。テロ攻撃の対象として、日本も名指しされます。第二次大戦後60年、平和ボケと揶揄されてきた我が国は、戦後最大の脅威にさらされます。海洋国家であり、貿易立国である日本。テロ対策は焦眉の急でありました。

 2004年7月1日の改正SOLAS条約発効に向け、政府は国内法として「国際航海船舶及び国際港湾施設の保安の確保等に関する法律」を3月に全会一致で可決。2004年4月12日公布。数百億円の補正予算を組み、全国の主要貿易港の保安体制強化に乗り出します。この時、釣り人も、釣り関連業界も、岸壁への立ち入りが一切禁じられるとは、まったく考えていませんでした。改正SOLAS条約が釣り人に及ぼす影響に気付き、警告が必要だと動き出したのは、"無頼の釣り浪人" と呼ばれた男、居眠釣四郎ただ一人。「今回の規制は国際条約に基づく厳格な法規制。お目こぼしも例外も黙認もあり得ない!」。危機感と焦燥感に苛まれた釣四郎は、自ら開設したホームページで、全国の釣り人と釣り関連業界に呼び掛けます。
 『主要貿易港は2004年7月1日から、本当に関係者以外立入禁止になる!』

 改正SOLAS条約発効まで、あと2ヶ月。釣四郎は釣り雑誌、釣り団体、釣具メーカー、釣具店、釣餌店に、保安対策強化の一般告知に協力してくれるよう奔走します。しかし、この時点に至ってもまだ、反応は冷ややかなものでした。「港湾からの市民締め出しなど、本気でやるはずがない。どうせ黙認状態が続くだろう」と、たかを括っていたのです。その間にも、保安対策強化の工事は着々と進められていました。

 さあ、今日の「その時」がやって参ります。

 2004年7月1日午前0時。全国の主要貿易港はフェンスで取り囲まれ、夜間照明、常時監視カメラが稼働。出入り口には警備員が配され、まさに重要保安施設として、一般人の立ち入りを禁じました。たかを括っていた釣り人と釣り関連業界は呆然とします。立入禁止エリアに侵入して検挙される釣り人、売り上げが激減した釣具店、釣餌店……。

 釣四郎の再三の警告にも拘わらず、なぜ、国際条約に基づく保安強化を、市民の誰もが甘く見くびっていたのか? それは認識の甘さや既得権意識だけではなく、2006年のPSE法での混乱を見るとおり、今なお、法令の一般告知、周知徹底の方法に改善の余地がある証拠だと言わざるを得ません。

 今日は、立入禁止区域に不法侵入した釣り人の摘発・検挙にあたった、某警察署副署長の言葉をご紹介して、お別れしたいと思います。本日も当ブログをご覧いただき、ありがとうございました。

「釣り人を検挙した場所は、立入禁止の看板・フェンス・ゲートが設けられており、無意識に入り込んでしまう場所ではない。保安対策はもとより、事故防止の観点からも、再三にわたって警告を行ってきたが、フェンスを破壊したり、オーバーハングした部分を伝わって侵入する釣り人が絶えず、退去勧告にも応じないため、警告ではなく、摘発の段階に入ったと判断した。長年通い慣れた釣り場を失った釣り人の心情はわかるが、社会を構成する一員として、自覚を持った行動をしていただきたい」。

-「波となぎさ」'06年9月26日発刊 169号 掲載稿に加筆修正-

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 波の制御機能はそのままに建設コストを下げる新設計法をはじめ、点検・補修が容易なローコスト運営で長期使用が可能になり、さらには "壊れにくいが壊しやすい" という、改修も視野に入れた港が築かれる時代になった。まったく、海洋工学や海洋土木技術、そして築港技術の進歩には本当に驚かされる。

 港の防波堤や岸壁は釣り人にとって、最も身近で手軽な釣り場。しかし、時に最も危険な釣り場にもなる。磯や離島に釣りに行く場合は危険を想定して、ライフジャケットの着用や救難ロープの携行などの、安全装備も用意するし、気象・海象にも気を配る。しかし、防波堤や岸壁は身近で手軽であるがゆえに、安全装備や危険回避といった意識が希薄になる。そして、万が一の落水時。防波堤や岸壁は垂直に切り立った構造になっており、海面からの高さもかなりあるので、自力で這い上がる事はまず不可能。防波堤であれ、臨海公園であれ、落水した場合に自力で出来る事は何一つなく、発見・救助されるのを待つしかない。その救助を待つ間に流されたり、沈んでしまわないように、すがりついておく手掛かりさえないのが実情だ。

 「港は遊び場ではない!」と言われれば確かにその通りなのだが、港の造り方・使い方がこれほど進歩しているならば、せめて臨海公園や釣り公園になっている場所や、将来一般開放されそうな場所については、転落防止柵や救命浮輪だけではなく、緊急避難用のハシゴなり、救援を待つ間にすがりついておける手掛かりを設置してあれば、落水事故による殉難者も減るのではないだろうか。

-「月刊港湾」'06年9月号掲載稿に加筆修正-

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 改正SOLAS条約の発効は、釣り人にとって痛恨の極みであった。行政や港湾管理者からの事前告知や、わかりやすい説明も無く、未だに「なんで締め出されたンかいな?」と首を傾げている釣り人もいる。行政関係者からは「新たに釣り公園が開設された事例もある」との回答をいただいたが、全国の閉鎖されたエリアの総範囲と、新設された釣り公園の範囲をご存知の上でお答えだろうか? 改正SOLAS条約によって行き場を失った釣り人のために新設された釣り公園は、福島県小名浜港の一角だけである。小名浜港湾建設事務所管理グループに確認したところ、保安対策エリアから締め出された釣り人が漁港エリアに詰めかけてきたため、漁業者からの苦情に応える形で、アクアマリンふくしまのある2号埠頭に釣り区域を新設したというのが真相だ。

 とはいえ、港の保安対策強化は絶対に必要。実際に日本は非常に危険な状況にある。イスラム系テロ組織の活動ばかりがクローズアップされているが、日本が国境を接している隣国のほとんどは、"先進国" だの "経済大国" だのと吹聴していながら、ODA、円借款、債務保証などの経済援助名目で日本に金をたかり続け、そのくせ反日教育を行い、軍備拡大を行っている。挙げ句の果てにはその国の長が「日本とは対決すべし」と公言して憚らぬ国に対して、ご丁寧に入国ビザの免除までして差し上げたというお人好し国家が日本である。工作員やテロリストの目的は、人命を奪ったり、破壊活動によって経済損失を与える事だけではなく、狙った国の国際的信用の失墜、治安悪化、人心の攪乱、国論の分断などの情報操作も含まれる

 他国の港湾警備体制は、自動小銃などの火器を携行した特別警察や軍の特殊部隊との連携だが、日本ではそうはいかない。とにかく、保安施設に近付かせない、入り込ませないという対策が主体なのだから、危機管理の現場最前線に立つ方々のご苦労を思えば、釣りや散歩のできる場所が減るくらい、どうと言う事でもない。これを嘘偽り無く、わかりやすく国民に伝えて欲しい

-「月刊港湾」'06年8月号掲載稿に加筆修正-

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 港湾開発の技術面では世界をリードする日本でありながら、港湾の使い勝手やコスト面ではアジア各国に劣り、国際競争力の回復が急がれているという。日本の港は荷役に関係するコストが高く、おまけに入稿・通関手続きが面倒ときては、いわゆる "Japan Passing (ジャパン・パッシング=日本飛ばし)" が行われるのも仕方がないだろう。しかし、このような現実を知り、考えるようになったのはモニターとして月刊港湾を読むようになってからの事。一般市民にしてみれば、日本の貿易港が上海や釜山などの港に追い抜かれている事を知らない。知識どころか、関心すら持っていないのが現実。自分の住む街の港が、どこから何が運び込まれ、どこに何を運ぶ港なのかも知らないのが普通だ。それも無理のない話で、港は港湾関係者と企業と貿易業者と漁業者のものであって、一般市民には近付く事さえ禁じられた場所。興味や関心を持たせない様にしているのだから、再開発への理解や協力を求めても、市民の無関心と非協力に嘆く事になるだろう。

 私は名古屋港の近くに住んでいるが、大型トラックの騒音・振動・排気ガスは凄まじい。利便性を向上させるため港湾業務が24時間稼働になったら、深夜早朝も大型トラックが走り、振動や騒音に悩まされる事になる。周辺住民にしてみれば、迷惑千万な話でしかない。事前に「かくかくしかじかの理由で、港湾は24時間稼働となり、周辺住民には騒音・振動・排ガス等のご迷惑をお掛けする。ゆえに道路には低騒音、低振動の高規格舗装を施し、排ガス対策も行うので、ご理解とご協力を願う」と、周辺各戸に事情説明と環境対策を約束するくらいの事はしないと、理解も協力も得られまい。改善や再開発は港湾そのものの効率化と利潤追求だけではなく、周辺地域の環境も含めて計画していただきたい。『みなとの偉人たち』に紹介された、薩摩藩の辣腕家老 "調所笑左衛門広郷" が行った苛斂誅求とも言われる財政改革への庶民の怨嗟は昭和の時代になっても続き、広郷の7代目に当たる調所一郎氏は、今でも奄美には足を運びづらいとおっしゃっていると聞く。強行策をとって市民の心に芽生えさせた怒りは憎しみに、悲しみは怨みとなって、後世に残る事になるという実例である。

-「月刊港湾」'06年7月号掲載稿に加筆修正-

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 当方は40代の釣りオヤジ。どう考えても、見知らぬ10代や20代前半の若者達と親しく話の出来る存在ではない。こちらも気恥ずかしいし、相手方も突然話しかけられたら訝しむだろう。そこで「釣りは世代を超えて人の心を捉える魅力あるレジャーなのか?」を試す実験をしてみた。きっかけは愛知県常滑市の多屋海岸で、小学生の女の子二人組に「おじさん、釣りって面白い?」と声を掛けられた事。突然の事で戸惑ってしまったが、「楽しいよ」と答えて竿を握らせ、釣れた魚を持たせてあげると、二人が大喜びしたからだ。

 そこで、愛知県美浜町の浜辺で19歳の女子大生二人組に「釣りしてみたい?」と声を掛けてみた。答は声を揃えて「やってみたーい!」。当日は潮が引いてしまって釣りにならなくなっていたため、後日、サヨリ釣り、ハゼ釣りと経験させてあげたが、二人とも釣りの楽しさに夢中になるとともに、身近な伊勢湾の豊かさに驚いていた。

young 次に試みたのは、タトゥー(入れ墨)を入れた強面の雰囲気プンプンの青年2人と、肌の露出も多く、派手目のメイクのお嬢さん3人という、街中だったら目を合わせるのも憚ってしまいそうな、いわゆる"渋谷系"の若者5人組。「やぁ、若い衆。ちょっと釣りをしてみんかね?」と声を掛けてみた。「あ、俺はガキん時にやった事ある」。「あぁ、バス釣りならやった事あるけど、投げ釣りは初めてだな」。「え~、マジで? 釣りなんてやった事ないしィ~」。「アタシやってみたいかも」。「おじさんが餌付けてくれるならやりたい」。結果は……、左の写真の通り。見知らぬ釣りオヤジに声を掛けられ、生まれて初めて釣り竿を持ち、そして自分で魚を釣った彼女たちの輝くような笑顔と歓声。海辺で楽しむという共通目的を持った交流が成立した瞬間だ。別れ際に彼等が笑顔で発した言葉は、「おじさん、ありがとうございました」。そして、丁寧にお辞儀までしてくれた。

 海は人の心に開放感をもたらし、世代や性別を超えて交流を促してくれる。なぜか? 海辺では波の音、潮風でボソボソと話していたのでは会話が成立しづらい。いつもよりも大きな声で、ハッキリと話をしなければならない。いきおい、表情も豊かになり、相手の感情や想いが読み取りやすくなるからだろう。これは都会や市街地の騒音のように、不快な音の中での大声と違って、潮騒や潮風は爽快感を伴っているからこそ。しかし、心を開いただけではシャイな現代人には足りない。会話のきっかけとなるツールが必要なのだ。そのツールとして、年齢、性別、体力の有無を問わず、多額の初期投資の必要もなく、誰もが楽しめる水辺のレジャーとして釣りは最適なのだ。

-「波となぎさ」'05年8月31日発刊 164号 掲載稿より抜粋・加筆-

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 ♪海は広いな~ 大きいな~
  月が昇るし 日が沈む~ 
  海は大なみ~ 青いなみ~
  ゆれてどこまで つづくやら~
  海にお船を 浮かばして~
  行ってみたいな よその国~♪
(「うみ」作詞:林柳波 作曲:井上武士)

 ♪我は海の子 白波の~
  騒ぐ磯辺の 松原に~
  煙たなびく 苫屋こそ~
  我が懐かしき住処なれ~♪
(「われは海の子」作詞:宮原晃一郎 作曲:不詳)

 ♪松原遠く~ 消ゆるところ~
  白帆の影は浮ぶ~
  干網浜に高くして~
  鴎は低く波に飛ぶ~
  見よ昼の海~ 見よ昼の海~♪
(「海」作詞作曲:不詳)

 ほとんどの日本人は心の原風景として、「海」と言えば「白砂青松」あるいは「青い海、白い雲、緑の松原、白い砂浜、打ち寄せる波、磯の香り、囁く潮騒、頬を撫でる潮風」などを思い浮かべるだろう。

 私は釣り好きで、愛知県知多半島の海辺によく出掛けるのだが、釣り場で知り合った地元のご隠居さんに、「なぁ、おみゃーさん。せゃーきん、海で遊んどる子どもンたぁが全然おれせんの、気付いとりゃーした?(標準語訳:ねぇ、君。最近、海で遊んでいる子どもたちが全然いない事に、気付いていたかね?)」と、問いかけられた。周囲を見回すと、確かに中高年のオヤジばかりで、海辺で遊んでいる子どもがいない。潮干狩り、海水浴、釣りと、海辺は子どもたちの格好の遊び場だったはずだ。はて、こうなると「月が昇り、日が沈む海」、「松原、砂浜、磯の香」を実際に体験している子どもは、どれだけいるのだろう? 昨年の産経新聞の調査では、日の出や日の入りを見た事のない小中学生が過半数、という結果が出ている。都市部の海岸はコンクリートで固められた護岸が続き、地方の海岸でも消波ブロックが積まれている。見渡してみれば、煙たなびかせているのは苫屋ではなく、紅白に塗られた工場や発電所の煙突だ。海岸沿いの道路や公園も松ではなく、フェニックスなどの植栽が施された、ハワイかアメリカ西海岸風に造られ、横文字カタカナで名付けられた通りが多くなっている。「海辺の保養地」と言えば「松に砂浜」のイメージだが、「マリンリゾート」となると「ヤシに白い大理石」となる。どちらが日本の気候風土にマッチしているかは言うまでもないが、観光開発の主流は洋風。

 ある海辺のカフェのマスターが、「観光開発の企画を担当している世代はウェストコーストに憧れた世代。開発や予算を承認する議会の議員さんの多くはハワイに憧れた世代。地中海ブームもありましたし、どうしたって洋風の造り、横文字の名称になりますね。ウチもご多分に漏れず……」と話してくれた。苦笑混じりに、「羽衣の松がフェアリーケープのパインツリーとか、お宮の松がカンチー&ミーヤのグッバイプレース、なんて呼ばれたらイヤだねェ」と冗談を口にしたら、「なんですか、それ?」と聞き返されてしまった。三十代前半と思しきマスターは、三保の松原の「羽衣伝説」も、熱海の海岸散歩する貫一・お宮(「金色夜叉」尾崎紅葉)もご存じなかった。天女が月の舞いを見せなくなったのも、むべなるかな。貫一は別の意味の涙で、110年目の2007年1月17日の月を曇らせてしまいそうだ。

 このように、日本人の海に関する原風景は、冒頭に記した童謡・唱歌によって、イメージが刷り込まれているだけになりつつある。あまりに海辺の景色が変わりすぎてしまうと、これらの童謡・唱歌も、いずれは「村の鍛冶屋」のように、時代にそぐわない曲として音楽の教科書から消えてしまうかもしれない。

 とはいえ、国土保全、防災、観光開発による地域振興は欠かせないし、時代によって生活様式も嗜好も変わるのだから、ノスタルジックな思いに浸ってボヤいていても仕方がない。私たちが時代に合わせて、海の美しさや魅力を知り、感じ取っていけばよいのだ。仕事に追われて休日くらいは家でユックリしたい気持ちもわかるが、塾通いで忙しく、遊びはもっぱらゲーム、という子どもさんと一緒に海辺に出掛け、 "何もせず、ただボンヤリと海を眺めて過ごす贅沢な時間" を味わってみていただきたい。できれば童謡・唱歌を口ずさみながら。それでは物足りないという、忙しいのが好きな現代っ子ファミリーには、釣りもおすすめだ。コンクリート護岸であろうが、煙突やクレーンがひしめき合って立っていようが、海と空は神々しいまでに美しく、潮風は清々しい。そして、都市部の海にも魚たちは逞しく生きている。ハゼ、カレイ、アナゴ、スズキ、クロダイは東京湾、伊勢湾、大阪湾奥部の大都市圏の岸壁からも釣れるし、車や電車で一時間ほど走れば、アオリイカ、ヒラメ、マゴチといった高級魚だって陸から釣れる。思った以上に、我らが日本の海は豊穣なのだ。

-「波となぎさ」'06年6月30日発刊 168号 掲載稿より抜粋・加筆-

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YASU ・居眠釣四郎・眠釣
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釣りと動物と時代劇、時代小説をこよなく愛する、腰は低いが頭が高い、現代版「無頼浪人」にて候。
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