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釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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 高等学校の必修科目未履修やら、イジメ問題の隠蔽、地方自治体や官庁の裏金・横領・横流し、自動車メーカー・家電メーカー・ガス器具メーカーのリコール隠しや責任逃れ、ソフトバンクモバイルの番号ポータビリティにおけるシステム障害を、「Docomoとauのシステム障害が原因」とソフトバンクモバイルがウソ告知でユーザーを騙した事など、不始末の責任問題を「手前の口を拭って、尻拭いを他人に押しつける」ってな不祥事が続いている。つまり、ハラを切らずにシラを切って責任逃れに走るわけだ。

 事が社内や身内だけの問題なら、それもありだろう。しかしなぁ、国民生活にダイレクトに影響を及ぼす不始末は、キッチリと責任を取るべきだ。その責任の取り方も、辞任・辞職という事で済ませる例がほとんどだが、不始末で辞めるのに退職金はキッチリ頂戴するって連中ばかり。それは違うだろう。懲戒免職にならずとも、不始末を詫びての辞職なら、規定に則って退職金が支給されたとしても、自主的に返納してこそ「腹を切った」事になる。

 「天網恢々疎にして漏らさず」って諺があるが、その天網に引っ掛かっているのに、天網の中でジタバタと見苦しい足掻きをする教育関係者、企業のトップ、自治体や官庁のお偉方には "潔さ(いさぎよさ)" ってものが微塵も無い。そもそも、あれだけ国の指導に対して抵抗を見せる日教組の先生方も、必修単位未履修隠しを粛々と、かつ主導的にやっていたってんだから、笑い話にもならない。

 北朝鮮の核&ミサイル、中韓の反日運動と挑発、露の共同開発事業での裏切り、そして国内では内部腐敗と、21世紀の日本はまさしく内憂外患の状態ですなぁ。フリーランスの自分は不始末を起こさぬまでも、期日遅れや企画プランや作品のクオリティが下がれば即アウト。ハラを切る暇も与えらず打ち首だ。寄り掛かる大樹が無いだけに、いずれは野垂れ死にする身の自分が、国の行く末を憂えるなど、烏滸がましいにも程があるか……。

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 今日は愛知県犬山市で「戦国武将物語」という、甲冑武者行列のお祭りが開催されてた……んだけど……、見てこられなかった……orz

 犬山まで行っていながら、お祭り見物はオアズケ。11月3日に開催される「親子ふれあい釣り教室」の事前講習会で講師をやってきた。竿先のリリアンと道糸のつなぎ方、サルカンと釣糸のつなぎ方、そして安全講習人形劇の独演。いや~、疲れた。会場が和室だったので、座り机を3段積み上げて演台に仕立て、やっとこどっこいでこなしてきた。

しかしまぁ、驚かされちゃったのが、子どもが和室の作法を知らない事! 平気で襖の敷居を踏む、畳の縁もブシブシ踏む、はしゃぎ狂って畳の上で飛び跳ねる。
 「コラー! 畳のお部屋には畳のお部屋のお作法があるんだぞ!
  敷居と畳の縁は踏んじゃダメだ。敷居が歪んだり、すり減ったり
  すると襖の開け閉てが出来なくなる。畳の縁は畳表を留めてある
  大事な部分だから、すり減ると畳の傷みが速くなる。
  それと、畳は藁をギュッとまとめて出来ているし、芯に発泡スチ
  ロールを入れた畳もあるから、ドタバタ跳ねたらブカブカに緩む。
  畳の上で暴れてイイのは、武道場の畳だけ!
  日本人なら日本のお作法を覚えて起きなさい。わかった?!」
と、釣りとは全然関係ない世話まで焼いちまったィ。

 マンション住まいで和室がないから……って話も出たけど、それは言い訳になってない。親も知らねーんだよ、和室のお作法を。知ってるなら、他人の自分が注意をする前に、親が注意(しつけ)をするべきだ。新人類と言われた世代の自分でさえも知っている、平安時代から連綿と受け継がれてきた、日本の良き常識『お作法』が、団塊ジュニア世代の親御さんとその子どもさん世代で、フッツリと途切れている。こりゃぁ、しっかりとした結び方でつながないと、日本の伝統が消え去ってしまう。戦国武将物語だの、火縄銃の実演だので日本の伝統や歴史を見せるよりも先に、和室のお作法を教えてやれ!

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 「武士道とは死ぬことと見つけたり」の件(くだり)で有名な『葉隠』。昭和の軍部によって玉砕や自決の名目に祭り上げられてしまったが、本来は「常時、死に臨む覚悟で懸命に生きるべし」という箴言である。この『葉隠』には、武士の心得だけではなく、武士の生活規範やノウハウも記されている。面白いところでは、現代で言うところのホモセクシャル、衆道についての手ほどき(?)まで語られている。「武士の死に犬死になど無い。ただひたぶるに死に狂え」といった過激な描写もあるが、玉砕、自決を潔しとした昭和軍部の曲解とはまったく違う、「義に則り、武士の面目と意地、主家を守る為」という有事の際の心得が前提になっている。『葉隠』を読み込んでいくと、現代の日本人が忘れてしまった、良い意味での意地や意気地、廉恥、報恩、無私の精神などが語られており、自らを省みるに最適の書である。岩波文庫から出ている『葉隠』(上・中・下)は、良く言えば読み応えがあるが、ストーリーの時系列がめちゃくちゃに前後しており、切腹した人物が再登場したかと思うとまた切腹したりで、小説や読み物として取りかかると、読み手は混乱してしまう。あくまでも、武士の心得を登場人物に辿らせている「心得集」「箴言集」として読み進めなければならないので、歴史好きの読書好きでもないと少々ツライ。かなりデフォルメされているが、隆慶一郎先生の娯楽時代小説『死ぬことと見つけたり』(上・下)から入ると、本編も読んでみる気になれるだろう。『死ぬことと見つけたり』は執筆中に隆慶一郎先生が逝去されたため、未完作品となっており、本歌である『葉隠』への興味を一層かき立ててくれる。
隆慶一郎=脚本家、時代小説作家。人気漫画「花の慶次」の原作者と言えばわかりやすいだろうか。

 さて、このように優れた武士の道徳規範、武士の思想的な柱石が生まれたのは、江戸でも、尾張でも、紀州でも、水戸(水戸黄門こと、水戸光圀による水戸学は同じ頃に興っているが、こちらは尊皇思想)でもない。肥前(現在の佐賀県)鍋島藩の藩士、山本常朝が語った武士の心得である。山本常朝なる人物は、今で言う "侍ヲタク" もしくは "侍バカ一代" とでも呼ぶべき人物。武士が武士たり得るには、人が人たり得るには、恩と義に報いるには、慈悲と情けとは、etc……。ひたすら誇り高き武士としての生き様、死に様を思い考え、自ら語るサムライ哲学に「我もかくありたし!」と身を揉んでいたように思えてくる。

 鍋島藩の武士は、「武士は喰わねど高楊枝」などと、貧窮にあえぐ身を儒教に寄りかかって自己欺瞞していた貧乏旗本や御家人、あるいは諸国の浪人とは、まったく違っていたようだ。鍋島藩は役を解かれて浪人しても、他国に出る事(他藩への仕官)は禁じられていた。国元にあって、有事の際は兵として合戦に赴くことが義務付けられていたという。現代で考えれば、リストラで会社をクビにしておきながら、再就職を禁じて、繁忙時には出て来いと言うようなもの。こんな虫の好い話はない。と、考えるのは武士として心得違いとするのが『葉隠』の肥前鍋島藩。他国に出さず国元に置くのは、一朝事あらば馳せ参じて不面目を雪ぐ(すすぐ)チャンスを与えているのだ。だから、国元に置いたまま浪人させられるのは、殿様の慈悲深いお仕置きであると心得よ、と説いている。物は言い様、考え様……と思ったが、実際に島原の乱では鍋島藩の浪人達が死を恐れぬ勇猛果敢な戦い(死に狂いの奮戦)をして面目を施しているのだから、あながち詭弁とは言えないようだ。

 その佐賀県は現代において、お笑い芸人ハナワのネタで一躍有名になったが、あまり良い意味で有名になったとは言い難い。「田舎」。それも "ド" が付く、文化・経済の後進地として笑い飛ばされている。「ちょっと待て!」と言いたい。思想的には『葉隠』を生み、文化工芸品としては『唐津焼』を生み、名刀工『肥前忠吉(勝海舟の佩刀)』を生んだ地ではないか。政治的にも、幕末には薩長土肥の連合を組み、江藤新平、大隈重信らの明治の元老を輩出している。自分は佐賀とは縁もゆかりもなく、佐賀出身の知人もいないが、『葉隠』をきっかけに佐賀の歴史を拾ってみると、化け猫騒動を含めて、佐賀は日本人の日本人たる骨頂を示す土地柄だったでのはないか。機会があれば佐賀の地を訪ね、鍋島武士の心意気を遺す人士と話をしてみたいものだ。

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 フリーのプランナーなどという、不安定でアホな商売をしながらも、また一つ馬齢を重ねる事が出来た。で、そのアホの誕生日が忙しいっつーか、バタバタと動き回り、ジャブジャブとお金を使いまくる一日となった。

 まず、朝一で ニンテンドーDS−Lite の購入整理券をもらいに近所の大型家電店へ。あれ? 今回は抽選じゃなくて、整理券を獲得すれば買えるんだ。コイツはラッキー! ついでに「もっと脳を鍛える……」「えいご漬け」も購入しちゃった。およそ25Kの出費。

 続いて、動物病院に行き、愛犬ロンの膀胱結石の手術のための施術説明を受けて預けてきた。手術は午後。夕方6時に手術の結果と経過説明を受けに動物病院を再訪。手術は無事成功。ホッと胸を撫で下ろしたが、摘出された結石が想像以上に大きくてビックリ。色、形状、大きさは、お菓子のマコロンそっくりだった。それでも術後経過は良好で、ICUに入っているロンに面会してきたら、まだ麻酔から覚めきっていないので、ボンヤリとした様子だったが、それでもフラリと立ち上がり、「YASUの旦那ァ、俺ァ家へ帰りてェよ……」ってな顔でオイラを見上げてくれた。よく頑張った、13歳半という高齢で良く手術に耐えてくれた(思わず落涙……)。ロンは5月2日まで入院。昨年12月の愛猫アビの腎臓摘出手術の時と同じく、毎日面会に行って、経過説明を受ける。つくづく、良い動物病院に巡り会えたと思う。でも、手術費、検査費、入院費で100K以上の出費確定。

 動物病院の帰りがけに、営業を兼ねて釣具店へ。新調したかった前打ち竿を眺めている内に、気分がムラムラポッポとしてきた。黒鯛工房やらDAIWAやらSHIMANOやらの竿を比べて、あれやこれや思案する事小一時間。お店を出る時の「ありがとうございました〜♪」の声で正気に返……って、ウァ! DAIWAブラックジャックスナイパーT-53U(本体定価45K) の包みを抱えてるじゃないのよ、オイラってば。GWセール中なので約30Kの出費で済んだけど……。

 しかしまぁ、自分へのお誕生日プレゼントにしちゃ、チョット高額すぎた。ロンの治療費を別にしても55Kだもんなぁ。年齢の1千倍を超えちゃイカンよねェ、やっぱし……。

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 え〜っと、先ほど「損害保険会社の者」を名乗る男の人から電話があって、オイラが追突事故を起こしたそうです。被害車両のチャイルドシートには幼い女の子が乗っていて、顔に何針か縫うケガを負ってしまったそうです。幸い、被害側も示談には応じてくれるらしいけど、"誠意" を示しておいた方が示談交渉がスムーズに行くそうで、被害者の指定する口座に "誠意を形で示す額のお金" を振り込んでおいてはいかがでしょうかと……。電話の向こうではオイラが非常に取り乱して泣いています。

 いや〜、文字通り "他人事じゃない" もんなぁ。他ならぬオイラ本人が事故を起こしちゃったのかぁ。そりゃ大変な事だ、一大事だ。早速、銀行に行ってATMの前で警察官と銀行員の立ち会いの上で、被害者の携帯電話に電話を掛けて振込指定口座番号を聞きました。ところが残念な事に、被害者の方の口座はその場で凍結されて、"誠意を形で示す額のお金" の振り込みが出来なくなっちゃったんですよォ。困ったなぁ。電話の向こうには事故を起こして、今もすすり泣いているオイラが居るのになぁ。いや〜、困った、困った。いったい、どうすればいいんでしょ? 

>振り込め詐欺犯ご一同様
※この話はフィクションかもしれないです。 (・∀・)ニヤニヤ

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 趣味とも仕事ともつかない取材(?)で、尾張・三河の史跡散策に出掛けた。徳川家発祥の地、岡崎は特にお気に入りの土地。岡崎城や徳川家菩提寺の大樹寺は見応えがある。とりわけ大樹寺は静かな佇まいで、徳川家(前身の松平家を含む)累代のお位牌、霊廟などを見る事も出来る。春日局の念持仏とされる地蔵菩薩、諸国の大名も見たであろう襖絵など、往時に思いを馳せ、400年の時を超えたロマンチシズムに浸れるのだ。

 アカデミックな関心を満足させたら、赤だし味噌で有名な「八丁味噌」の工場見学に行ってみる。八丁味噌と名乗れるのは創業延元2年(西暦1337年)の"まるや"と創業正保年間(西暦1644〜1649年)の"カクキュー"だけ。両社ともに気軽に無料で説明案内のガイド付きで工場見学をさせてくれるし、田楽やお味噌汁の試食、おまけに試供品として赤だし味噌のお土産までくれる。もちろん、直販コーナーで市場にはあまり出荷されていない特選商品なども購入できる。

 東京に住んでいた頃は、武田家の史跡を求めて山梨によく出掛けた。武田家終焉の土地である天目山には、少し先に定宿にしていた嵯峨塩温泉があったのでよく行ったし、武田家菩提寺の恵林寺にも、時には信州まで足を伸ばして川中島や諏訪湖周辺にも行った。信州上田では真田家の史跡を訪ね歩いたりもした。役者もどきをやっていた頃には"真田祭り"に出演した事もある。

 知的好奇心を満足させたら、甲州ではワイナリー。"マルキ"と"機山(キザン)"がおすすめ。両社のワインは地元の甲州産ブドウだけで作られているホンモノの甲州ワイン。お酒を飲まない私も、両社のワインだけは香りを嗅ぐ程度だけれど口にする。世に言うワイン通の方々からは「下戸が安ワインを得意気に語るな」とお叱りを受けるかもしれないが、好きなんだからしょうがない。

 と、まぁ戦国時代(室町末期、安土桃山、江戸初期)には英雄・豪傑・奸雄・梟雄が様々なドラマを繰り広げ、まさに日本の青春期であったように思われる。向こう見ずで、乱暴で、それでいて経済産業振興、海外文化の流入など凄まじい勢いで変革(成長)が進んだ時代。その足跡を辿りつつ、地元の名産品を求めるのはとても楽しい。

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 織田信長公が歴史に名を残す嚆矢となった、桶狭間の合戦場と言われている場所に行ってきた。今川義元公が討たれたとされる場所には墓が作られ、今日もみずみずしい花が手向けられていた。義元公本陣とされている場所もあるんだけど、あの場所じゃ中食(ちゅうじき=この場合はお昼の宴会)はちょっと難しかったんじゃないかなぁ?

 愛知県豊明市〜名古屋市緑区周辺には、歴史史跡がたくさん残っている。古くは古墳時代の古墳もたくさんあるし、弥生土器も宅地造成工事などでゾロゾロ出てくる。日本武尊にまつわる物語も残っているし、熱田神宮の位置から考えて、かつては国内屈指の都会だったのかもしれない。

 古戦場近くにある戦人塚にも足を運んでみた。ここから古戦場址方面に目をやると、たしかに隘路(あいろ=狭くて細い道)を長い列を成して今川勢が進んできたであろうことが理解できる。故司馬遼太郎先生もこの周辺を訪れ、「濃尾参州記」に記されている。

 今日は所用で出掛けたついでに立ち寄っただけで、じっくりと周辺を散策することもなく帰ってきたが、近いうちにカメラを持って再訪してみるつもり。興味のある方は、東京日本橋から国道1号線を西進して、およそ348km地点の左側です。大きな看板が出ているので、すぐにわかりますよ。

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 少し前の話になるが、フィットネスジムのインストラクターをしている元プロレスラーのJさんと出会い、触れてはいけない話題を口にしてしまった。プロレスには一般人が触れてはならない部分がある。Jさんがスッと立ち上がり、マットを敷き詰めた一角で手招きをした。
 「俺からは一切先に攻撃しない。おたくは顔面でも、 金的でも、好きに攻撃していいよ」
一見、ハンデをつけてくれたような申し出だが、この言葉の裏側にあるのは、『攻撃はしないが、受けと捌きは本気でやる』ってことだ。

 ショー、舞台、ドラマ等で "見せるため" に、ほんの少しだけ立ち技系格闘技をかじった程度の自分が、元プロレスラーのJさんに有効打を与えることなど絶対に不可能。心から非礼を詫びたのだが、
 「いや、一度やってみればわかるから。ほら、来ないならこっちから掴まえに行くよ」
と言われてしまった。言葉も表情も穏やかだが、目は笑っていない。この顔ができる人はむちゃくちゃ怖い。Jさんの身長は180cmに少し欠けるくらい、体重も80kg程度だろう。しかし握力は70kg、背筋も250kgは超えていそうだ。掴まれて締められたら、ベアハッグ一発で174cm、58kg(現在は174cm、62kg)の自分は枯れ枝のようにへし折られてしまう。街でのケンカなら、右のパンチで牽制し、相手がかわそうと半身になったところで、前に出ている右足内側の膝上を、拳を引き様に右のローキックで蹴って逃げる "一撃即離脱戦法" でなんとかなる。逃げるための先制戦法として、何千回と練習したコンビネーションだ。

 Jさんが無造作に踏み出してきた。もう、やるしかない。牽制の右パンチを繰り出す。当然かわされるはず……、のところが右の拳にガッとすごい手応えが伝わってきた。身体を開かせるため放った右のショートストレートをJさんは避けずに額、髪の生え際あたりでそのまま受け止めたのだ。パンチを放った自分の肩まで衝撃がきた。拳にカウンターのヘッドバットを受けたようなモノだ。打ち抜くつもりで渾身のストレートを放っていたら、間違いなく肩を脱臼するか、手首を骨折、運が良くても中手骨の骨折は間違いなかった。ゾッとして思わず飛びじさった。
 「効かないよ。もうちょっと本気出してみようよ」
とJさんがにじり寄ってくる。顔だけ笑って目が本気。恐怖で首筋の毛がそそけ立った。吐きそうだ。もう一度飛びじさり、
 「勘弁してください。今のでよく解りました」
と許しを請うた。
 「ダメ。もう始まっちゃってるしィ」
と怖い眼のJさんが間合いに入ってくる。あまりの恐怖にトチ狂った。思いっきり右のローキックを放った。軌道の長いミドルキックやハイキックはよけられるか、そのまま足を掴まれやすい。これだけは恐怖にトチ狂っていても忘れなかった。

 スネの足首に近い部分、スイートスポットがJさんの左足太腿の外側、膝に近い部分を叩いた。セメント袋を蹴ったようなドシッという蹴り応え。自慢ではないが、自分のスネは10年前までは公園の立木を蹴って鍛え上げたスネだ。腰の入った、会心の一撃のローキック。一般人ならその場で蹲ってしまうだけの威力はあった。あったはず……なのだが、Jさんはドッシリと左足に体重を掛けて踏ん張り、渾身のローキックを止めてしまった。ローキックは普通、ヒザを浮かして捌くものだ。踏ん張って受け止められるモノではない。効いているのかいないのか、少なくともJさんの表情は変わらない。二の矢を放つべく、がら空きのこめかみに左のショートフックを叩き込んだ。瞬間、下からJさんの太い右腕が跳ね上がってきた。凄まじい握力で左肩を掴まれ、左腕を上に伸ばされた。左手で後頭部を押さえられ、そのままスタンド(立ったまま)のサイドポジションでフロントネックロックと脇固めを極められた。この体勢ではギブアップの声を出せないし、タップすることもできない。肩の関節の内側でギヂッと嫌な音が鳴り、続いて激痛が襲ってきた。あまりの激痛に意識はむしろ明確。打撃で受ける痛みは瞬間的なものだが、関節を極められた痛みは技を解かれるまで同じ太さで続く。「折られるッ……」と覚悟した次の瞬間、マットの上に転がされた。上体を起こす事もできない。肩を押さえて腹這いになっているのが精一杯。心が完全に折れた。Jさんが近づいてくる気配がする。とどめを刺しに来たと思った。凄まじい恐怖に飛び起きた。飛び起きておいて土下座した。涙こそ出ないが、鼻水と汗がドッと吹き出す。よだれもこぼれた。背中をポンと叩かれた。
 「どうよ?」
顔を上げると、怖い眼をした格闘家ではなく、フィットネスインストラクターのJさんがいた。

 絶対的な差。一般人(常人)が如何に努力しようと、どれだけ血の小便を垂らして鍛錬しようとも、絶対に埋めようのない天性の力の差。小男が急所を突いて大男を倒せるのは、大男が格闘の素人である場合だけだ。これだけ強いJさんをして、前座止まりで現役を終えなければならなかったプロレスという世界。レスラーはまさに天に選ばれし闘士だ。

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改正SOLAS条約が釣りに及ぼす影響(釣り場の閉鎖)に
ついて調査や取材を続けて10ヶ月。
この間に様々な関係先に電話を掛け、出向いて話を聞
いてきた。
正直、お役所関係や警察などにフリーの立場で取材を
申し入れ、回答をもらうのは非常に難しい。
むしろ簡単に受け入れられて、どこの馬の骨ともわか
らない人間に情報をペラペラとしゃべるようでは役人
や治安担当者として失格だし、不安になってくる。
こちらの身元・素性をすべて明かし、いかなる目的で
何を知りたいのか、得た情報をどのように使うのかを
明確に伝えなければ、絶対に回答してもらえない。
言うまでもないが初手から追求姿勢丸出しだったり、
喧嘩腰では門前払いは必至。
あくまでも相手方の立場に理解を示した上で、お願い
するという姿勢が必要。
どんなに邪険に扱われようと、この姿勢を貫いていけ
れば、何度かお願いしているうちに情報を得られる。
かといってベタベタとしたお追従やゴマすりは不要。
低姿勢だが毅然とした、「腰は低いが頭は高い」スタ
イルがいいのかもしれない。

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 本業の仕事を手伝ってくれている学生を連れて、とある先生の講演を聞きに行った。秀吉の軍師、竹中半兵衛を通じて現代の経営論を語る内容だったのだが、講演の中に「常在戦場」という言葉が出てきた。時代小説や時代劇ファンならよく耳にする言葉だろう。だが、講演会の後の懇親会の会場で、某女子大に通うR嬢が「へ〜、戦国時代にはすでにあったんですね〜。ふ〜ん、すごいなぁ」と関心している。同席の企業経営者や、経営幹部のみなさんも若い女性の発言に目を向け、耳を傾けている。「あぁ、武士たる者の心得だからね。常日頃から心掛けるべし、と半兵衛は語っていたんだよ」と答えるとR嬢とN嬢が驚いた顔をしている。
(以下、R=R嬢、N=N嬢、Y=私)

R 「そうなんですか? 信長も、秀吉も、家康も?」
Y 「まぁ、戦国武将なら誰もがそうしてただろうね」
N 「400年以上も歴史があるんだぁ、知らなかった」
Y 「って言うか、源平の頃も武将達は心掛けていた
   と思うよ。清盛も、義経も、頼朝もね」
R 「えーッ! 本当に? どうやって?」
Y 「そりゃ、平時でも常に戦場に身を置いていると
   イメージしておくのさ」
R 「はぁ? イメージじゃなくて、どうやってお湯や
   洗浄液を入れたんですか?」
Y 「はぁ? お湯? 洗浄液???」
N 「宿便を取ると健康にいいんですよね?」
Y 「君、それは"腸内洗浄"だろ……」

「ジョウザイセンジョウ」を「チョウナイセンジョウ」
と彼女らは聞き違えていた。もう、8人掛けの円卓は大爆笑。みんな腹を抱えて、身悶えするほど笑いこけていた。

 二度と彼女らを連れて講演会に行くもんか……_| ̄|○

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プロフィール
HN:
YASU ・居眠釣四郎・眠釣
性別:
男性
自己紹介:
釣りと動物と時代劇、時代小説をこよなく愛する、腰は低いが頭が高い、現代版「無頼浪人」にて候。
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