釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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織田信長公が歴史に名を残す嚆矢となった、桶狭間の合戦場と言われている場所に行ってきた。今川義元公が討たれたとされる場所には墓が作られ、今日もみずみずしい花が手向けられていた。義元公本陣とされている場所もあるんだけど、あの場所じゃ中食(ちゅうじき=この場合はお昼の宴会)はちょっと難しかったんじゃないかなぁ?
愛知県豊明市〜名古屋市緑区周辺には、歴史史跡がたくさん残っている。古くは古墳時代の古墳もたくさんあるし、弥生土器も宅地造成工事などでゾロゾロ出てくる。日本武尊にまつわる物語も残っているし、熱田神宮の位置から考えて、かつては国内屈指の都会だったのかもしれない。
古戦場近くにある戦人塚にも足を運んでみた。ここから古戦場址方面に目をやると、たしかに隘路(あいろ=狭くて細い道)を長い列を成して今川勢が進んできたであろうことが理解できる。故司馬遼太郎先生もこの周辺を訪れ、「濃尾参州記」に記されている。
今日は所用で出掛けたついでに立ち寄っただけで、じっくりと周辺を散策することもなく帰ってきたが、近いうちにカメラを持って再訪してみるつもり。興味のある方は、東京日本橋から国道1号線を西進して、およそ348km地点の左側です。大きな看板が出ているので、すぐにわかりますよ。
愛知県豊明市〜名古屋市緑区周辺には、歴史史跡がたくさん残っている。古くは古墳時代の古墳もたくさんあるし、弥生土器も宅地造成工事などでゾロゾロ出てくる。日本武尊にまつわる物語も残っているし、熱田神宮の位置から考えて、かつては国内屈指の都会だったのかもしれない。
古戦場近くにある戦人塚にも足を運んでみた。ここから古戦場址方面に目をやると、たしかに隘路(あいろ=狭くて細い道)を長い列を成して今川勢が進んできたであろうことが理解できる。故司馬遼太郎先生もこの周辺を訪れ、「濃尾参州記」に記されている。
今日は所用で出掛けたついでに立ち寄っただけで、じっくりと周辺を散策することもなく帰ってきたが、近いうちにカメラを持って再訪してみるつもり。興味のある方は、東京日本橋から国道1号線を西進して、およそ348km地点の左側です。大きな看板が出ているので、すぐにわかりますよ。
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