釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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夏休みのある日、事件が起きた。秘密のポイントに、隣町のグループがやってきた。たちまち険悪な雰囲気になり、にらみ合いになった。このハゼ釣り場は譲れない。
「おい、ここは俺たちの釣り場だ。どっかいけよ」
「どこで釣りをしようが勝手だろ! おまえらだけの場所じゃないぞ!」
「なんだとぉ! やんのか!」
「おう!」
釣り竿を放り出し、双方グループ入り乱れてのケンカが始まった。隣町グループは5年生以上の高学年ばかりだったが、3年生のチビスケたちも戦闘に参加した。戦わずに逃げたら仲間として認めてもらえなくなる。怖くて足が震えた。度胸を決めて、5年生くらいの相手に飛びかかった。腹を蹴られ、平手で頭を叩かれた。足にすがりつき、太股にかみついてやった。今度は拳で頭を殴られた。コブができるのがわかった。猛烈な痛みと怒りと悔しさが胸に湧いた。必死に泣き声をこらえた。先に泣いた者が出たグループが負けだ。泣いたら自分のせいで釣り場を奪われてしまう。
泣き声をこらえるため、夢中で相手にしがみついた。今度は振り飛ばされた。転んで膝をすりむいた。血が滲んだ。我慢の限界だった。
「うわぁ〜ん!!」
こらえていた泣き声が、堰を切ったようにほとばしった。火の着いたような泣き声だった。
チビスケの泣き声が戦闘終了の合図だった。
「あッ! チビを泣かしたのか! 卑怯だぞ!!」
地元グループ大将格の少年が怒鳴った。すさまじい怒気を含んだ、激しい口調だった。戦闘に参加していても、チビスケを本気で攻撃してはいけない、というのが暗黙の掟だった。チビスケを泣かすのは "弱い者イジメ" になる。絶対に許されない、重大なルール違反だった。上級生は下級生のチビスケ達をかばい、守るのも掟だ。隣町グループ大将格の少年が狼狽した様子で叫んだ。
「あやまれ! チビを泣かしたヤツはチビにあやまれ!」
太股に歯形をつけられた少年が、おずおずと前に出た。ポケットからちり紙を取り出し、泣いているチビスケの膝の血を拭った。
「ごめんな……。 俺等がいつも行ってる場所、埋め立てなんだ」
謝りながら、この場所にやってきた理由を話し始めた。
高度成長期、各地の湖沼や海岸の埋め立て工事が盛んに行われていた。
工事によってハゼ釣り場を失い、新しい釣り場を探しにきたと少年は語った。このハゼ釣り場では地元グループのルールに従う事、隣町グループが秘密にしている釣り場を教えてくれる事で和議が成立した。
隣町グループと対立したことはなかったが、交流したこともなかった。
それが今回の事件で一気に釣行エリアが広がった。翌日、隣町グループに案内されて、隣町グループの秘密のポイントに向かった。そこは貯木場だった。
「……、ここは入ったらおじさんに怒られるぞ?」
「うん。あっち側は危ないからダメだ。だけどこの橋の下は大丈夫。
ちゃんと貯木場のおじさんに聞いてあるんだ。
『おーじーさーん、あーそーばーせーてー!』
でも、あいさつしてからじゃないとダメだぞ」
作業小屋の窓に、こちらを向いて大きくうなずく大人の姿が見えた。
「怒られない?」
「怒られないよー。あいさつしておかないと、おじさんたちが帰る時に
門を閉めて行くから出られなくなる。
あいさつしておけば『もう閉めるから帰れよ』って言ってくれる。
お菓子やジュースをくれる時もあるんだぞ」
「すげー!」
「ふふ〜ん」
隣町グループは自慢げに鼻を鳴らした。
釣り場は手すりの付いたテラスのようになっていた。これなら運河に落ちる心配はない。とっておきのポイントだと思った。
「ここはハゼはあまり釣れない。ちっちゃいカレイはいっぱい釣れる。
おまえ達、リール竿持ってるか?」
「あるけど、チビたちの分がない」
「交代で釣ればいいよ。俺等のも貸してやる」
木っ端ガレイが入れ食いだった。子供たちは交代で夢中になって釣った。隣町グループの一人が、ナイフでカレイの腹を割き、新聞の上に並べた。
「なにやってんの?」
チビスケの一人が聞いた。
「こうやって干しておくと、ウチに帰るときには干物ができてる。
かぁちゃんに焼いてもらって、今夜食べるんだ。うまいぞ〜!」
「ふ〜ん、干物って自分で作れるんだ……」
「干すだけだもん。おーい、もう釣りはおしまーい。
これ以上釣っても乾かなくなっちゃうよー」
必要以上に釣らないのも掟だった。
カレイの干物ができあがるまで、子供同士の釣り談義で盛り上がった。○○町の釣具屋は針が安い、リール竿なら△△△屋のセットがいい。お年玉で買ったグラス竿、とうちゃんからもらった投げ竿の自慢話。話題はつきなかった。遊び仲間が増えたのがうれしかった。
その日の釣果配分は木っ端ガレイの干物10枚ずつ。カレイの干物は家族からも絶賛された。少し埃っぽい干物だったが、たまらなくおいしかった。家族からほめられ、チビスケにとっては誇らしかった。
まだ、昔と言うには近すぎる70年代。子供たちが子供たち自身でルールを定め、それに従って遊んでいた時代。限りなく自由で楽しかった。
どこの町にも釣りキチ三平がいた。
※この小編を再編集して、2006年3月末発行 「波となぎさ167号」に、"居眠釣四郎" のペンネームで寄稿しました。
「おい、ここは俺たちの釣り場だ。どっかいけよ」
「どこで釣りをしようが勝手だろ! おまえらだけの場所じゃないぞ!」
「なんだとぉ! やんのか!」
「おう!」
釣り竿を放り出し、双方グループ入り乱れてのケンカが始まった。隣町グループは5年生以上の高学年ばかりだったが、3年生のチビスケたちも戦闘に参加した。戦わずに逃げたら仲間として認めてもらえなくなる。怖くて足が震えた。度胸を決めて、5年生くらいの相手に飛びかかった。腹を蹴られ、平手で頭を叩かれた。足にすがりつき、太股にかみついてやった。今度は拳で頭を殴られた。コブができるのがわかった。猛烈な痛みと怒りと悔しさが胸に湧いた。必死に泣き声をこらえた。先に泣いた者が出たグループが負けだ。泣いたら自分のせいで釣り場を奪われてしまう。
泣き声をこらえるため、夢中で相手にしがみついた。今度は振り飛ばされた。転んで膝をすりむいた。血が滲んだ。我慢の限界だった。
「うわぁ〜ん!!」
こらえていた泣き声が、堰を切ったようにほとばしった。火の着いたような泣き声だった。
チビスケの泣き声が戦闘終了の合図だった。
「あッ! チビを泣かしたのか! 卑怯だぞ!!」
地元グループ大将格の少年が怒鳴った。すさまじい怒気を含んだ、激しい口調だった。戦闘に参加していても、チビスケを本気で攻撃してはいけない、というのが暗黙の掟だった。チビスケを泣かすのは "弱い者イジメ" になる。絶対に許されない、重大なルール違反だった。上級生は下級生のチビスケ達をかばい、守るのも掟だ。隣町グループ大将格の少年が狼狽した様子で叫んだ。
「あやまれ! チビを泣かしたヤツはチビにあやまれ!」
太股に歯形をつけられた少年が、おずおずと前に出た。ポケットからちり紙を取り出し、泣いているチビスケの膝の血を拭った。
「ごめんな……。 俺等がいつも行ってる場所、埋め立てなんだ」
謝りながら、この場所にやってきた理由を話し始めた。
高度成長期、各地の湖沼や海岸の埋め立て工事が盛んに行われていた。
工事によってハゼ釣り場を失い、新しい釣り場を探しにきたと少年は語った。このハゼ釣り場では地元グループのルールに従う事、隣町グループが秘密にしている釣り場を教えてくれる事で和議が成立した。
隣町グループと対立したことはなかったが、交流したこともなかった。
それが今回の事件で一気に釣行エリアが広がった。翌日、隣町グループに案内されて、隣町グループの秘密のポイントに向かった。そこは貯木場だった。
「……、ここは入ったらおじさんに怒られるぞ?」
「うん。あっち側は危ないからダメだ。だけどこの橋の下は大丈夫。
ちゃんと貯木場のおじさんに聞いてあるんだ。
『おーじーさーん、あーそーばーせーてー!』
でも、あいさつしてからじゃないとダメだぞ」
作業小屋の窓に、こちらを向いて大きくうなずく大人の姿が見えた。
「怒られない?」
「怒られないよー。あいさつしておかないと、おじさんたちが帰る時に
門を閉めて行くから出られなくなる。
あいさつしておけば『もう閉めるから帰れよ』って言ってくれる。
お菓子やジュースをくれる時もあるんだぞ」
「すげー!」
「ふふ〜ん」
隣町グループは自慢げに鼻を鳴らした。
釣り場は手すりの付いたテラスのようになっていた。これなら運河に落ちる心配はない。とっておきのポイントだと思った。
「ここはハゼはあまり釣れない。ちっちゃいカレイはいっぱい釣れる。
おまえ達、リール竿持ってるか?」
「あるけど、チビたちの分がない」
「交代で釣ればいいよ。俺等のも貸してやる」
木っ端ガレイが入れ食いだった。子供たちは交代で夢中になって釣った。隣町グループの一人が、ナイフでカレイの腹を割き、新聞の上に並べた。
「なにやってんの?」
チビスケの一人が聞いた。
「こうやって干しておくと、ウチに帰るときには干物ができてる。
かぁちゃんに焼いてもらって、今夜食べるんだ。うまいぞ〜!」
「ふ〜ん、干物って自分で作れるんだ……」
「干すだけだもん。おーい、もう釣りはおしまーい。
これ以上釣っても乾かなくなっちゃうよー」
必要以上に釣らないのも掟だった。
カレイの干物ができあがるまで、子供同士の釣り談義で盛り上がった。○○町の釣具屋は針が安い、リール竿なら△△△屋のセットがいい。お年玉で買ったグラス竿、とうちゃんからもらった投げ竿の自慢話。話題はつきなかった。遊び仲間が増えたのがうれしかった。
その日の釣果配分は木っ端ガレイの干物10枚ずつ。カレイの干物は家族からも絶賛された。少し埃っぽい干物だったが、たまらなくおいしかった。家族からほめられ、チビスケにとっては誇らしかった。
まだ、昔と言うには近すぎる70年代。子供たちが子供たち自身でルールを定め、それに従って遊んでいた時代。限りなく自由で楽しかった。
どこの町にも釣りキチ三平がいた。
※この小編を再編集して、2006年3月末発行 「波となぎさ167号」に、"居眠釣四郎" のペンネームで寄稿しました。
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