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釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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 1970年代。釣りは子供たちの遊びの定番だった。駄菓子屋で買った竹のノベ竿でフナを釣り、ザリガニを釣り、ハゼを釣って遊んだ。エサはパンくず、スルメ、自分たちで掘ったミミズやゴカイ、モエビだった。お弁当のおにぎりとおやつを詰めたリュックサックを背負い、麦茶を入れた水筒をたすきに掛け、釣り竿を担いだ子供たちの姿が全国のどこにでもあった。

 釣りの師匠も近所の子供たち。上級生が新入りチビスケたちの面倒を見た。竿先のリリアンやヘビ口に道糸をつなぎ、チチワ結びで釣り糸を結ぶ。ウキ下の調節、ウキとオモリの関係、エサの付け方、アタリの取り方。上級生からチビスケたちへと伝授された。チビスケたちは真剣に習った。魚紳さんはいなかったが、竿を担げば、気分は釣りキチ三平だった。日本全国に釣りキチ三平がいた。

 子供たちの釣りには子供たちなりのルールがあった。チビスケは必ず年上の子と出掛ける事、単独釣行はしない事、岸辺のない川や池、テトラの上では釣りをしない事、秘密のポイントを他のグループには教えない事、ポイントがバレないようにゴミは持ち帰る事。これらは絶対の掟だった。
掟を破るとしばらくの間、仲間に入れてもらえなかった。遊び相手がいなければ、自宅に引きこもるしかない。江戸時代で言えば閉門蟄居のようなものだ。子供にとって一番つらい罰だった。

 春は池や川でフナ、ハヤ、ザリガニを釣った。エサ採集は釣りを教えてもらうチビスケたちの役目。畑のくず捨て場や堆肥置き場の脇を掘るとキジがいる。雑木林の木の下を掘ればドバミミズが取れる。小枝にできたコブの中にはブドウ虫に似た幼虫がいる。釣りエサの採取で、自然を観察する目が養われていった。玉ウキよりもトウガラシウキの方がアタリがわかりやすい、ヘラウキならモロコやクチボソなど小さい魚のアタリも取れる。難しい理屈はわからないが、体験的にウキの浮力、形状による感度の違いなどを覚えていった。釣りを通じて、理科の実験学習をしているようだった。

 夏と秋はハゼ釣り。干潮時に石をひっくり返してゴカイを、敷石に付いたカキガラをはがしてジャリメを取った。海釣りの餌集めは少し危険なので、慣れている5年生の役目だった。缶詰の空き缶や、お母さんのクリームの空き瓶がエサ入れだった。ハゼは面白いように釣れた。死なせると腐ってしまうので、缶ビクを水辺に沈めて活かしておき、帰りに肥後守ナイフでワタを抜いて持ち帰った。釣果は6年生の手により、参加した子供たち全員に均等に配分された。チビスケたちも、同じだけ分け前をもらえた。セイゴやボラなど、30cmを越える大物を釣ると、ヒーローになれた。
6年生が習字セットの墨汁と筆で魚拓を取ってくれる。真っ黒けで魚の形しかわからなかったが、子供たちには大きな勲章だった。

※この小編を再編集して、2006年3月末発行 「波となぎさ167号」に、"居眠釣四郎" のペンネームで寄稿しました。

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HN:
YASU ・居眠釣四郎・眠釣
性別:
男性
自己紹介:
釣りと動物と時代劇、時代小説をこよなく愛する、腰は低いが頭が高い、現代版「無頼浪人」にて候。
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