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釣り、ペット、短編小説、雑記、紙誌掲載原稿
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 まずはこの記事だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080209-00000007-mai-soci
岩手の黒石寺蘇民祭(裸祭り)の男衆の全裸が公然猥褻にあたるんだって。なんでオイラが岩手の祭りに注目してるかっつーと、愛知にも全裸の裸祭りがあるから。知多半島にある美浜町「上野間裸参り」は、数え16歳(実質は高校一年)から23歳までの若衆が全裸で街中を駆け抜け、海に浸かって禊ぎをするって祭りなんだが、毎年、大晦日の深夜から正月元旦に行われている。この祭り、前半の禊ぎを終えるまでは、完全なすっぽんぽんの真っ裸だ。ありていに言えば、青少年がチ●コ丸出しで禊ぎをする海岸までの1kmに渡って走り抜ける祭りなワケだ。オッサン抜き、16~23歳までの若衆だけだから、女性人気も上々(笑)。伝統文化であり、神事でもある裸祭りが公序良俗に反するとは思えないんだがねェ。



 ソレ目的のアッチ趣味連中がいるのは確かなんだが、日本には衆道文化ってのが古くからあって、信玄公も謙信公も信長公も、み~んなアッチ趣味の男達だったのよ? 信玄公なんかは、男同士の嫉妬で浮気の釈明文まで残ってンだよ。川中島合戦も、雪斉が和議の仲介をしているんだが、謙信公に和議の条件としてお小姓を差し出していたりするんだがね。信長公も前田利家に「おまえとは一緒に床を共にしたよなぁ」なんてな手紙を送ってンの。どんな仲だったかわかるでしょ? これ全~部、歴史の教科書には載ってないけど本当の話。ちゃんと各武将の直筆書状が残っているんだからウソじゃない。

 お小姓ってのは警護だけじゃなく、夜伽の相手も務める。アレしたりとか、コレしたりとかするんだが、まぁ、男が男に本気で惚れるから、主君のためにマジ命懸けで働いたし、死ぬのも厭わなかったんだな。時代によって倫理観とか死生観も変化するんだが、この辺りの事情を知らないと、戦国武将とか武士の「忠誠心」は理解できないわけで、「武士道」の根底にあった忠義、忠誠とは愛情の延長線上って事が学校のお勉強では抜け落ちている。女房子供のために命を投げ出すのも、主君のために死ぬのも、武士の価値観では同じ事だったワケさ。

 ってなワケで、日本男児には多かれ少なかれ、バイセクシャルの気が擦り込まれていて、それが開花しちゃうとアッチ趣味に行っちゃうんだな。ただし、西洋のソドムと決定的に違うのは、単なる性愛趣味ではないと言う事。主従関係が徹底されており、決して下世話な色事ではなかった点にある(まぁ、多少の例外はあるけどね……)。
 
 話がそれすぎた。オイラが心配なのは、岩手県警の判断が愛知にまで波及してきたら困るって事。チ●コが見たくなければ、そういう人は祭りに来なきゃいい。いや、チ●コを見せるとか、チ●コを見るのが祭りの目的じゃないんだから、警察も無粋な事を言うなよ、ってのがオイラの意見です。とっぴんぱらりのプ。

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コメント
私は取り締まるべきだと思う。
仮に儀式だったとしても、なぜ観客を制限しないのか、
女性がエリアに入ることをなぜ制限しないのか。
若者の羞恥心をいったいどのように考えているのか、
とても疑問に感じる。

>自分も男女共同参画や男女同権という考え方は否定しない。
>ただ、歴然たる事実として男女の性差はある。
>だから少女も全裸で走らせる事が平等だとは思わない。
>男は男、女は女だから許される事、許されざる事があってしかるべき。

男女間に性差は確かにある。それは私も認める。
ただ、この件に関して持ち出されるものではない。
「裸」の問題と性差は全く関係ない。

下記のものなどは裸と性差が関係ない一つの例だと思う。
http://www.flickr.com/search/?q=naked%20bike%20ride&w=all&s=int
YASUさんの頭の中にある性差というものが、どのあたりまでを指すのかががわからないが、「裸」というものに、性差を持ち出すのであれば、上記のようなイベントは存在し得ないだろう。

羞恥心のレベルって人によって男女によって違うのではなく、個人によって違うものだ。上半身の裸はいいけど、まわしはイヤだ。とか、まわしはいいけど、ちょっと法被とかで体隠したいな。おっぱい出しても、ボディーペイントでカモフラージュしたらそれでよいかな…とか。もちろん、裸になりたくない人も男女を問わずいてよい。裸になっても良い人も男女も問わずいてよい。

このイベントに、裸で参加する男も女もいる。服を着て参加する男も女もいる。私が参加したとすれば。裸は恥ずかしいので裸にはならないが、裸になる女性もいるわけで、そこに介在するのは、性差ではなく個人差だ。

でも、日本のお祭りみていると、男は裸になっても恥ずかしがっちゃいけない。とか女は男とちがって、隠さなきゃいけない、とか、価値観が画一的で、それを押し付ける空気がすごくある。雄叫びだけは、迫力あるけれど、人の多様性や個性をみとめないどんよりしたものをいつも感じる。

性差があるのは、歴然たる事実と言うけれども、性差を認めるのであれば、個人差をもっと認めるべきだと思う。個人差があるのも歴然たる事実だ。

私は、裸がすべて駄目だといっているわけではない。個人的には、自発的な自由意志であれば男女を問わず問題ないと思っている。
ただ、社会経験が浅く、個人としての意思形成が十分でない若者に対して、裸になることを強制したり、誘導したりする空気がそこにあるとすれば、それは少年に対するものであろうと、少女に対するものであろうとも間違っている。それは伝統云々の問題ではない。

性差があるのが事実だとしても、それは、このレベルの話に持ち出されるものではない。少女にしたら駄目なことは、少年にしてもやはり駄目なのだ。

>例えば、小売業やサービス業でよく行われている、男性店長が女性用の
トイレを掃除するという事をどう思われますか?

私は、使用中のトイレでなければ問題ないと思う。
それを不快に思う女性もいるかもしれないが、それは一つの意見だ。
私は、駅の男子トイレで男性が用を足している最中に、掃除の女性が入ってくるのは、凄く不快に感じる。私の周りにも不快に思う男性は結構いる。
苦情を言いたくなることもあるが、トイレの掃除は重要であるし、
掃除は大変なものだと思うので、配慮をして言わないだけだ。


私の妹は体が不自由なので、私が生理用品や下着をお店に買いにいくこともあるし、トラブルがおきれば、交換したり、生理で汚れたトイレの掃除をしたりすることもある。個人的には自分にとって女性の生理はなんらタブーではない。
小さいころから、多少気持ち悪いと思いながらも、男性、女性の下着を洗濯するのも、私の日常だった。

世の中には下着ドロボーなんていうものが、存在するようだが、
そんなものに甘い幻想をもつ男の気が知れない。
自分にとって他人の下着なんてどんなに女性が美人であろうとも、
触りたくもない。

私見ではあるが、性差があるといって、それを誇張し、
様々な制限やタブーをお互いに加えることは社会をゆがませる原因だと思う。
世の中で一般に言われる性差は、生物学的、医学的な性差だけではなく、
非科学的なものも多い。それは諸外国に行くと凄く分かる。

性差を主張するのであれば、生物学的、医学的なものに限定していただきたいと思う。
【2008/02/16 20:14】 NAME[KEN] WEBLINK[] EDIT[]
性差はある
>KENさん
コメントありがとうございます。

自分も男女共同参画や男女同権という考え方は否定しない。
ただ、歴然たる事実として男女の性差はある。
だから少女も全裸で走らせる事が平等だとは思わない。
男は男だから、女は女だからこそ、許される事、許されざる事があって
しかるべきだと考えている。
例えば、小売業やサービス業でよく行われている、男性店長が女性用の
トイレを掃除するという事をどう思われますか?
「男が女性用トイレなんぞ掃除できるか!」
などといった不遜な考えで言うのではなく、女性用トイレの汚物入れを
見られてしまう女性の心理を慮ってみれば、決して良い事ではない。
実際にトイレは店長に掃除して欲しくないという女性従業員からの意見
もあって、女性用トイレは女性の"聖域"にした企業もある。
物には表裏両面の見方があり、光の当て方によって良くも悪くも見える。

頑なに守り続けるべき事もあると私は考える。
旧弊は正すべきではあるが、合理性だけでは計れないのが文化。
そもそも、愛知県の裸祭りには世代間扶助の精神が背景に伺われる。
日本の平均寿命が50歳を超えたのは'47年(昭和22年)の事。
戦争や乳幼児医療の死亡率が高かった事もあるが、昭和前期までは厄年
ともなれば、働き盛りとはいえども人生の終盤だった。
父親と同世代にあたる厄年の先輩に、もう一花咲かせてもらうために、
若衆達が身代わりとなって厄払いの禊ぎを行うようになったという見方。
なぜこの時代になっても全裸でなければならないのか、というのは全裸
は「包み隠さぬ赤心の証」として、神聖な姿とされているため。
まぁ、それにしても思春期の若衆にとっては、理不尽で意地悪な風習だ
と思ったので、土地のご老人に話を聞いたところ、
「そらアンタ、女子衆に何遍か若衆の裸を見る機会を与えてやってだな、
 亭主選びの品定めさせてやってンだよ。
 おかげさんで祝言をあげたその日の晩から夫婦和合でな、子孫繁栄よ」
ってな事を、意味深な笑みを浮かべながら片目をつぶって冗談ごかしに
教えてくれた。
事の真偽はともかく、理詰めで追求しても正解は得られそうもないし、
土地柄、お国柄と理解しておくべきだと思った。

元々、自分は伝統行事にケンカを吹っ掛けるのが目的じゃない。
むしろ、不合理や理不尽も一種の"行"という一面があると見ている。
困難や苦労、時には肉体的精神的な苦痛や寒暑を、敢えて自分に課して
心身に活を入れるのもありでしょう。
強制は良くないかもしれないが、「本人が嫌がってるからやらせない」
ってのは、時に人間を堕落させる。
人間も躾と教育によって理性を持たせなければ畜生と同じ、本能と衝動
だけの生き物になる。
程度の差こそあれ、地域住民が絆を結び合うための不合理、理不尽なら
目くじら立てて非難するほどの事ではなかろうと思う。

合理主義を地域にねじ込んでケンカを売りたいなら、それはKENさんの
お考えでしょうから止めはしません。
自分は傍目で「無粋な事を……」と思いますけどね。

-追記-
渡海文科相が、「伝統文化について警察が判断するのはそぐわない気が
する」と述べ、違和感を示した――、そうです。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/122991/
政治家の発言は、時に人気取りのリップサービスだったりするので額面
通りに受け取るわけにはいかないが、まぁ、伝統文化などの所轄省庁の
大臣がそう言っているんだから、そういう事なんでしょう。
【2008/02/17 01:24】 NAME[YASU] WEBLINK[] EDIT[]
とりあえず
>KENさん
再コメントありがとうございます。
今から救急救命講習会に出掛けねばならないので、とりあえずコメントの
お礼と、自分の言う「性差」について。

生理的・医学的性差ではなく、情緒的性差とでも言いましょうかね。
重たい荷物がある。男と女がいる。男女平等だからジャンケンで決める?
自分は紛うことなく、ケガをしているとか、病気でもない限りは男である
自分が持ちますよ。
女性擁護とか、そんな高尚な判断ではなく、自らの価値観で。
KENさんに言わせればアナクロな考え方でしょう。
しかし、自分の美学が許さない。力仕事、危ない仕事は男の仕事です。
互助と共生の精神、人間関係を円滑に保つための優しさと思いやりを基に
して、理屈や道理ではなく、多分に情緒的な判断でそう思う。

コメントは上書きせずに、新規に書き込んでください。
前の書き込みがわからなくなると、論点がズレてしまうかもしれない。

ともあれ、自分の言う「性差」はアナクロな情緒的性差という事。
青少年の羞恥心云々については、帰宅後にあらためて述べます。
【2008/02/17 07:46】 NAME[YASU] WEBLINK[] EDIT[]
続き
救急救命講習会は勉強になったけど、帰りに雪が降ってきて寒かった~!

さて、KENさんの言わんとするところと、自分の考え方や価値観には交わ
る部分が全くない。
トイレの例も、公衆便所や清掃業者のおばちゃんの話をしているのでは
なく、職場で顔を付き合わせる状況においての話。
男性店長が「環境整備の率先垂範としてやれ」と経営者に言われてやって
いた女性用トイレの清掃が、女性従業員にとってはありがた迷惑な話で
あったという実例。
男の側が「別に……」と思っていても、女性従業員にはつらかった。
まず、自分の言う情緒的、心情的な部分での「女性トイレの掃除を男性、
しかも上司である店長にさせている」という恥じらいと、汚物入れまで
片付けられるのはセクハラに等しいという恥じらい。

日本各地の祭りにおける価値観が画一的であるのは当然の事。
祭り袢纏や鉢巻姿などの装束を統一し、地域共同体としての連携・互助・
共生の精神ってなモノを涵養する意味合いもあるのだから。
てんで勝手なユニフォームを着られちゃ困るから、強制的でも着せる。
じゃぁ、男は裸を恥ずかしがるなって論理に結びつくかってーと、それ
はまた別の次元の話。

ヌーディストパーティーやボディペイントは引き合いに出されてもなぁ。
日本の祭りは神事(仏事)であって、好き勝手な遊びの集いじゃないし。
そりゃね、思春期真っ盛りの紅顔の若衆にとって、衆目に全裸を晒すのは
恥ずかしいでしょうよ。
前述の通り、自分だって「最初から締め込みを着けさせてやれよ……」と
思っていたんだから。
(禊ぎを終えた祭りの後半は全裸ではなく、締め込み・鉢巻・草鞋履き)
重ねて言うけど、祭りの真の目的は地域の世代間扶助の精神涵養。
身代わりの全裸禊ぎは、いたわりや思いやりの具現化かなぁ。

なんで素っ裸にならにゃならんのか、ってのは前述の通り「赤心の証」。
のっけに書いたように、全裸を見せるのが目的じゃない。
厄年のオッサン連中の身代わりとして、全裸になって真冬の深夜の海で
禊ぎをしてもらうのが目的であり、若衆を虐めたり辱める目的じゃない。
身代わりとして厄落としの禊ぎをする=地域の世代間扶助って構図ね。
優しさとか、思いやりに基づいた地域行事ですな。
全裸で羞恥に耐え、寒さに耐え、禊ぎを完遂する若衆は称讃される。
強制的、あるいはほぼ強制に近い雰囲気なのも仕方ないと思う。
社会における「自由」と「我が儘勝手」は違うんだし。

KENさんはご存知かどうかわからないが、美浜の裸祭りは一般参加不可。
地元ッ子の若衆しか参加できず、一般の露出目的って不届者はいない。
(地元ッ子の若衆で露出好き……、って人には最高の祭りだわね)
女性は強制参加させるどころか、参加したいと言っても認めません。
女性蔑視の観点ではなく、女性の裸を見たら禊ぎをするはずの若衆の心機
が乱れちゃうからダメなんですな。
この点において、裸の問題は性差に関係するよ。
各地の霊場などで未だに女人禁制ってな場所があるのは、血の穢れが云々
ってよりも、女人を見れば行者の心機が乱れるからって理由でしょうな。

っとまぁ、色々と書き連ねてみたけど、自分は別にKENさんに理解して
もらいたいわけでもないし、頑迷なアナクロオヤジって自覚もしてる。
論争を吹っ掛けなくても、直に時代の波に呑まれて消えていくから。
【2008/02/17 15:09】 NAME[YASU] WEBLINK[] EDIT[]
無題
>生理的・医学的性差ではなく、情緒的性差とでも言いましょうかね。
>重たい荷物がある。男と女がいる。男女平等だからジャンケンで決める?
>自分は紛うことなく、ケガをしているとか、病気でもない限りは男である
>自分が持ちますよ。

体内の筋肉の割合は女性より男性の方が高いです。それは、男性ホルモンの影響によるものであって、女性よりも男性の方が力仕事が得意な場合が多いのは、
生理学的、医学性差です。

情緒的性差っていう言葉、私は始めて聞きました。
情緒って個人によって違うものですよ。
YASUさんと私の情緒は全く違うと思います。

情緒とは、各個人が成長の過程で、自らの意思で自分の手を伸ばし、
そこから自発的に獲得していくものであると考えます。
情緒は、個人によって異なるのは当たり前であり、
情緒の違いが個性であり、人の多様性なのです。

社会経験が浅く、個人としての意思形成が十分でない若者に対して、
年配者がもつ情緒を押し付けることがあれば、それは誤りであると思います。

まして、女子衆に何遍か若衆の裸を見る機会を与えることを目的として、
若者が恥ずかしい思いをしなければならないとすれば、
情緒的性差云々の問題ではないです。性的な強要です。

貧農の娘が人身売買の対象となり、
花街で売春や性的なサービスを強制されてきたことも、
日本の歴史の中にあります。世界の歴史にもあります。
一部の地域では、それが伝統として受け継がれてきました。

でも、たとえ伝統であったとしても、
それは、女性の人権というものが重要視され、
無くす努力がされてきました。

今でも人身売買の問題は(男女を問わず)世界にありますが、
無くす努力がなされているし、自分たちも協力せねばなりません。
これは、情緒の問題ではなく、人として普遍的に持つべき理性です。

全裸になるという性的に非常にデリケートになりうる行為を、
若者が強制されたり、若者にとって参加せざる負えない状況が仮にあったとすれば、それは立派な人権侵害であり、情緒や伝統で片付けられる問題ではありません。粋があるとかないとかで片付けられるものでもありません。
人として普遍的に持つべき理性から、逸脱していると考えます。
【2008/02/17 16:58】 NAME[KEN] WEBLINK[] EDIT[]
無題
続き…

>KENさんはご存知かどうかわからないが、美浜の裸祭りは一般参加不可。
>地元ッ子の若衆しか参加できず、一般の露出目的って不届者はいない。
>(地元ッ子の若衆で露出好き……、って人には最高の祭りだわね)
>女性は強制参加させるどころか、参加したいと言っても認めません。

あと、東京に住む私が、なぜ縁もゆかりもないこの街の祭りに怒りを覚えたかというと、たまたまインターネット上でとある動画をみたあとに、内容を知ったことからでした。

その動画では、全裸の若者がペニスを手で隠しながら、歩いていました、
時々そのペニスも見えたりしました。
周りの人がたくさん写真をとっていて、女性の声も聞こえました。
そのときは、若者の表情はあまり楽しそうではありませんでし、
私の目に、それは異様な光景に映りました。

もし、そのお祭りが本当に静粛な禊なのであるのならば、一般参加不可にするだけではなく、女性も見てはいけないものにする、近づいてはいけないものにするべきではないですが?まして、一切の撮影は不可にするべきです。

あと、多少話がそれますが、人によっては、私などもそういうことがありますが、女性の裸をみることよりも、女性に裸を見られることの方が、心を乱されたりします。禊が目的なら、「女性は絶対見てはいけない」とするべきだと思います。

でも、こういうのは性差(医学、生理学的)というよりは、慣れの問題だと思います。ヨーロッパのビーチでトップレスの女性がいても、周りの男性は、別に乱されていないと思いますしね。

あと、祭りを企画している人たちの意識にきちんととどめて欲しいことがあります。YASUさんは、ブログを作っているくらいですから、もうお分かりいただいているとは思いますが…

パソコンや、インターネットが発達した現在、カメラやビデオで撮影したものは無限にコピーできます。さらに、インターネット上にアップロードされれば、世界中の人がそれを目にすることが出来ます。サーバーの管理会社に問い合わせ、それを削除してもらったとしても、P2Pという世界中の人が参加できるファイル共有システムがありますから、その広がりをとめることは一切出来ません。いくら現場で一般の人を規制したとしても、そこで不特定多数の人が目にすることになります。現実に私も目にしています。
ポルノの対象は女性とは限りません。男性のポルノもたくさんありますし、そういうものを趣味にしている人も、性的対象とする人も、男女を問わず世界中に大勢います。
いくら、町の人が禊だといっても、好奇の目に晒されれば、無尽蔵に広がります。

YASUさんなら、そんなこと、「男だったら気にするな」、で片付けてしまうかもしれません。でも、仮にそうだったとしたら、それはすべての人が共有できる概念ではありません。YASUさん個人の「情緒」です。

ですから、全裸で祭りを続けるのであれば、人権というものに、最大限の注意を払っていただきたいと思います。
【2008/02/17 17:29】 NAME[KEN] WEBLINK[] EDIT[]
恥ずかしいでしょうよ
情緒とか心情ってのは≒個人の価値観なので差があるのは当然。
ただ、地域で価値観を一時的にせよ共有する行事として祭りは存在する。
非民主的に決定された、危険で、暴力的で、粗野で、非効率で、理不尽な
取り決めに、唯々諾々と従わさにゃならんのが日本の祭り。

その街に生まれ育っている限り、高校入学から大学卒業まで大晦日の夜
には全裸を晒し、東京から写真週刊誌は取材に来るわ、地元のテレビ局
は取材に来るわ、ソッチ系趣味の連中は来るわで、エライ事になってる。
で、世間の好奇の目に激しく晒されてしまうのは、非常にツライ。
地元の若衆、特に高校生くらいの十代の若衆は、一番ツライ思いをする。
大きいとか小さいとか、タートルネックだのトックリだったの、淡い恋心
を寄せていた同級生の女子衆にまで見られちゃうんだから、精神的苦痛は
大きいでしょうな。
そこそこ自慢の息子でも、いかんせん時は真冬の深夜なわけで、もうね、
親子共々にうなだれちゃって、シオシオのパ~の涙目ですよ。

で、こんなツライ目に遭い続けた連中も、卒業すると運営する側に回り、
世話役になっていくわけ。
こんなに「人としての尊厳」を傷つける祭りは今年を限りにやめよう、
ってな話にならず、何百年も受け継がれているのはなんででしょう?
虐めの連鎖、みたいな話だったら続いていない。

申し訳ないけど、田舎の地域住民にとって一番の頭痛の種になるのが、
KENさんタイプの都会的で聡明な先進的主張を曲げない人。
言ってる事はごもっともなんだけど、田舎じゃ「自説を押し通したいなら
村を出て行け!」って話になるわけですよ。
田舎者は変化を嫌うんです。それがすごく良い事、ありがたい事でも、
「輝ける明日」よりも「変わりなき今日」が再び来る事を望む。
だから、いつまでも頑迷で無知蒙昧な田舎者なんですけどね。

そんなに許せないなら、美浜町と所轄の警察、人権センターなんかにねじ
込んでみちゃいかがです?
全裸強要という性的虐待を受けている青少年を救えるかも知れませんよ。
【2008/02/17 20:50】 NAME[YASU] WEBLINK[] EDIT[]
無題
>情緒とか心情ってのは≒個人の価値観なので差があるのは当然。
>ただ、地域で価値観を一時的にせよ共有する行事として祭りは存在する。
>非民主的に決定された、危険で、暴力的で、粗野で、非効率で、理不尽な
>取り決めに、唯々諾々と従わさにゃならんのが日本の祭り。

アフリカの一部の国では、女児のクリトリスを除去する割礼(FGM)がいまだに行われている。それが出血死やエイズの罹患率を高めるにもかかわらず。イスラム諸国の地方では、女性がレイプ被害にあっても、夫以外の男性と2人きりだったことを理由に女性がの方が罰せられる。ナイジェリアでは婚外子を生んだだけで、イスラム法の「石打ち」による死刑があったりする。南アフリカでアパルトヘイト制度が行われていたのもつい数十年前の話だ。そいえば、アフガニスタンのタリバン政権もとても理不尽だった。

発展途上国、特にイスラム社会やアフリカの一部の地域では、非民主的に決定された、危険で、暴力的で、粗野で、非効率で、理不尽なルールが、合理主義に勝ったりする。人権団体や、国連がとめようとしても彼らはそれを変えようとしない。たいてい、そういう地域は排他的であり、行き着く先として、民族浄化のような悲劇も時として起こる。

レベルは相当異なるけれど、「危険で、暴力的で、粗野で、非効率で、理不尽なルールが、合理主義に勝る」、という点では、あなた方の主張も彼らと全く同じだと思う。より良い社会を築く上で、合理主義がもっとも重要であるのは自明であるとも思うのだが、住民がそれを拒否するので、どうにもならない。

近年、地方と都市部の経済格差、富める国と貧しい国の格差、様々な格差が問題になっているが、それも、仕方ないのかと思ってしまう。なぜなら、経済が合理主義そのものであるし、科学技術も合理主義そのものだからだ。よっぽどの資源をもっている国や地域を除けば、合理主義を軽んじる地域が、貧困から抜け出せない地位と重なるのはそのためだろう。

話は少しずれるが、この前の相撲部屋でおきたリンチ事件も、そこに属する力士にとっては、「危険で、暴力的で、粗野で、非効率で、理不尽なルールが、合理主義に勝る」という一例からおきた悲劇だと思う。あの事件で、もっとも悪いのは親方であるが、理不尽な親方の指示に従った兄弟子も、十分悪いと思っている。
上司から、理不尽な暴力を指示されても、成人であれば、自分の頭で物事を論理的に考え、善悪の判断をすることが、自立した人間として、普遍的に持つべき理性だと考えるからだ。
盲目的に指示に上司に従う、従える人間を育てるのが正しい教育ではなく、自分の頭で考え、自分の頭できちんとした判断をし、自分の頭でよい結果、正しい結論を出せる人間を育てることが真の良い教育であろう。日本が世界の中でどれだけのポジションを築けるかは、そういう人をどれだけ、育てられるかにかかっている。
残念だが、相撲界はそういう教育ができていなかったわけで、その結果があの悲劇でもある。

>田舎者は変化を嫌うんです。それがすごく良い事、ありがたい事でも、
>「輝ける明日」よりも「変わりなき今日」が再び来る事を望む。
>だから、いつまでも頑迷で無知蒙昧な田舎者なんですけどね

それならそれでよい。でも、それなら田舎は田舎で自活した経済を作ればよい。
田舎のやり方ですべての問題を解決すればよいと思う。
地方分権も徹底し、田舎は自分の地域で回収した税金で、道路をつくり、橋を作り、鉄道をつくり、社会保障もすべてやればよいと思う。

私を含め、都心に住む多くの人は、日々、切磋琢磨して、新しいものを作る努力をしている。新しい仕組みをつくる努力をしている。新しい発見をする努力をしている。私などは、上司に盲目的に従うのではなく、自分で物事を論理的考え、時には上司と喧嘩し逆らってでも、成果を出し、前進することを要求される。上司に従っても、成果が出せなければ、全く評価に値しないし、失敗すれば、自分の責任だからだ。
都会人の多くは、前進させるため、変化を生むために。努力を積み重ね、報酬を得ると同時に、街を豊かにしている。

田舎は変化を嫌う保守的な社会であるから、それでよいと主張するのなら、それはそれでかまわないことだとおもう。どんなに排他的な社会でもかまわない。自分たち自身正義を貫けばそれでよい。
ただし、経済活動もきっちり自活し、地方分権もきっちり行い、自分たちの町で集めたお金のみで、道路を始めとしたインフラの整備から、学校や社会保障運営を行うべきでもある。

多くの資源を持っている場合は別だが、そうでない場合、お金を生むために重要なことは、常に新しいものを作り上げる創造力だ。変化から収益を得ていると言っても過言ではない。
それをせず、変化を嫌いながら、町の行政が、都心部から間接的に流れてくるお金で運営されることがあるとすれば、話にならない。

資源を持たず、変化を嫌うところから、本当に自活した経済を維持する。本当に可能なのか、私にも関心がある。

祭りというものは本来、楽しいもので、日常の様々なストレスから発散するのが、
一つの目的と思っていたのですが、YASUさんによると、それは全く違うもののようだ。
【2008/02/17 22:10】 NAME[KEN] WEBLINK[] EDIT[]
大仰だなぁ
ずいぶんと興奮しちゃってるのか、論理が飛躍しすぎてますよ。
アフリカの割礼とか、人身売買とか、極端な話を持ち込んでもねェ。
あぁ、キリスト教における男児の割礼ってな話も聞いた事があるなぁ。
日本には「身体髪膚これを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始なり」
って考えが定着してたから、割礼とかは馴染まなかったんでしょうな。
日本の祭りの理不尽や不合理を、タリバンなどの宗教原理主義と同列に
扱うのは飛躍しすぎですよ。
日本の祭りも宗教的行事ではあるけれど、時には封建制度下における庶民
のカタルシスとして、地域の融和と調和を目的に行われてきたのよ?

頑迷な田舎者は切り捨てるって、それはKENさんが一番嫌う事じゃない?
無知蒙昧だけど、教育・勤労・納税の国民義務は果たしているんだから、
多少はお国で面倒を見てやってくださいよ。
慈悲と寛容の心無き政治は困るなぁ。
てか、大和時代みたいに、小国分立国家にしちゃえって?
をいをい、裸祭りの話がえらいトコまで行っちゃったよ。

伝統文化の維持と、社会制度の発展を対立軸で捉えようとしないでさ、
もう少し心にゆとりを持って見てやってくださいよ。
賑やかで楽しくて楽ちん楽々、お気楽アッパラパ~な祭りだけが祭りじゃ
ないんですよ。人死にや重傷者の出る祭りも全国にありますぜ。
田舎の祭りが非効率、理不尽、不合理って手枷足枷をかけるのは、苦労を
共にした一体感の醸成が目的なんだから。
先にも書いた通り、めっちゃくちゃ恥ずかしい思いを思春期の間ず~っと
し続けた当事者の若衆が、なんで祭りをやめないのかって事ですよ。

まぁ、そうは言っても田舎の人口は減る一方。
裸祭りの参加対象者も年々減少してるから、口角泡飛ばして罵らずとも、
KENさんの推察通りに、旧弊も悪弊も村ごと消滅しちゃいますよ。

そうそう、ちなみに自分は名古屋生まれだけど、東京で20年以上暮らし、
7年程前に名古屋に引っ越してきた出戻り者です。
長男なので親の面倒を見なきゃならんモンでね。
やっぱりね、「親の面倒をみなきゃ、死に際を看取らなきゃ」って思いが
捨てきれないんですなぁ。ね、田舎者って古くさいでしょ。
親は親で自活してりゃいいんでしょうけど、どうにも田舎者は家族・親族
を見限れないんですよ。
生活が破綻した親戚なんか出た日にゃ、親類一同がよってたかって仕事と
住居を世話して無理矢理にでも自立させちゃうし、KENさんに言わせたら、
迷惑この上ない息苦しいまでの過干渉かもしれないなぁ。
【2008/02/17 23:53】 NAME[YASU] WEBLINK[] EDIT[]
無題
ちょっと飛躍しすぎましたかね。
ただ、「非民主的に決定された、危険で、暴力的で、粗野で、非効率で、理不尽な
取り決めに、合理主義が勝る」、というのは、現状を認識する上では正しくても、
それを許しちゃいけない。それはそれで好しとしてはならない。
急に変える事は不可能であっても、私たちは変える努力をしなくちゃならない。
それを主張したかったわけです。

問題の大小は全く違いますが、底辺にある概念、は共通だと考えたからです。

>先にも書いた通り、めっちゃくちゃ恥ずかしい思いを思春期の間ず~っと
>し続けた当事者の若衆が、なんで祭りをやめないのかって事ですよ。

ただ、世の中みていると、自分が先輩にやられてイヤだったことを後輩にする、って言う人は多くみかけますよね。縦社会、体育会系の組織によく見られます。大学一年生のときに入った学生寮がそんな感じで、いろんな不快な行事を一年生に強いる。一年生のときは散々不満を言っていた癖に、多くの人が二年制になると、それの不満を忘れたかの様に、同じことを新しい一年生に強いる。全く理解に苦しむ組織でした。祭りを彼らが断ち切らないから、よい習慣だ、とはいえないような気がします。縦社会型、上下が絶対的な人にとって、循環を断ち切ることは、その習慣が好かれ悪かれ、難しいことのように見えるからです。

私は、先輩や上司にやられて嫌なことは、絶対後輩にしない。先輩や上司に噛み付いて、歯向かうことをしても、クビがかかっていても、自分がされて嫌なことは、自分より立場の弱い後輩には絶対にしないように努力します。駄目なものは駄目、良いものは良いと主張しようと努力します。
そのためには、自分が交換不可能な人間になるか、組織を追放されても別の組織に自分を売り込めるとか、自営でも食っていけるとか、そういうことに向けて、日々の努力が必要で、本当は難しいこととは分かっているんですけれどね。


ちなみに、男子の割礼は、ペニスの皮を切り落とすもので、包茎治療みたいなもののようですね。イスラムの男子はみんな必ずやるそうですね。以前マレーシアのデパートで中国系の女性店員に逆ナンパされたのですが、彼女の運転する車の中で、マレー系男性(イスラム男性)が受ける割礼について、急に語りだしたので、それがちょっと滑稽でした。

だけれど、アフリカの一部で行われる、女子の割礼は、女性の方から性欲を持ってはいけない、という抑圧から、その快楽のスポットであるクリトリスを傷つけることらしいのです。男性のものとは全く違いまいます。女性のマスターベーションは、絶対悪であると考えられているし、その抑圧というのも、伝統らしいのですが、まったくもってひどいものです。伝統とはいえ、やめるべきであると私は思います。

変化を求めない人生って…
実は私だって、正直、変化を求めなくていい人生があるとすれば、そういう人生に憧れることもあります。でも、根が頑固者なので、理屈で考えて、自分で納得しないと動けない人間なので、仕方なく変化を求め続けて生きているという感じです。
私は、バリバリの理系人間で、理詰めの中でデータを出すという生活なので、理不尽なことが許せないので、あんまり縦社会には身を置けないかなとも思い、こんな生活をしています。

自分は、羞恥心が強いので、YASUさんの地域に住んだら精神を病んでしまうかもしれませんね。彼女でもない女性の前で、全裸になるなんて考えられません。屈辱です。女性の前で全裸になるときは、目の前にいる女性も全裸でいるときだけです(笑)。

だいたい、日本って裸祭りだの相撲だのと、男の裸にすごく寛容なのに、紅白歌合戦で女性が裸に見えるボディースーツ着ただけで大騒ぎする。女性の裸に不寛容。
なんでなんですかね。ヨーロッパのビーチなんて女性はトップレスでも平気だし、ドイツの大学のキャンパスで、女学生が裸で日光浴したりっていうのも普通、スウェーデンとかでは、異性の友達同士で、裸で一緒にサウナに入ったりするらしいです。なんか、女性の裸にエロっていうレッテルが強く貼られていて、どうも対等じゃない。なんか違和感を感じます。正直、女性に俺の裸見るなら、お前らも裸見せろよ、って言いたくなるかもしれません。フェアじゃないですもんね。

そんなかんなで、相容れないところもたくさんあったと思います。ちょっと興奮してしまいました。すみません。私は父方は都会人で、母方は米軍基地の中で生活していた人間なので、私に田舎が理解できません。
日本人の若者って、田舎の人に限らず、東京でも、群れるの好きですよね。グループ作るの好きですよね。でも、その中に溶け込めず、人間関係にすごく悩み、遊ぶのはシンガポール人、オーストラリア人、中国人とか...いつも外国人。そんな青春時代でした。粋ってナンじゃそりゃ?お祭りって楽しむものじゃないのか?自分には異質極まりないものでした。
まあ、頭に血が上った僕に対し、穏やかに対応したYASUさんの方が大人だとおもいます。

東京に住んでいたんですね。親を見るために戻ってきたんですね。

実は、私も将来設計をする上で、そのことに悩んでいます。今、年齢は30代なのですが、北米で研究をするチャンスがあります。チャンスを生かして出来れば行たいのですが、それなりに成果を出したころには、40代になっている可能性も高い。現地で永住権を取得するのもよいかもしれませんが、将来は、東京に住む、親や体の不自由な妹の面倒もみなくてはなりません。40代で、日本に帰ってきて就職できるのか?北米に年老いた親を連れて行かれるものなのか?
そんなチャレンジしなくても、日本にい続けた方が、安定してて、不安がないのかな?とか、そんなことを考えて悶々としています。

YASUさんは、何歳くらいで戻られましたか?現地での再就職は苦労されましたか?

全然話は変わりますが、北米で働くのに、履歴書に年齢って書かないんです。
性別も書かないんです。雇用が確定するまで、聞いてもいけないらしい。
募集に制限を加えてもいけない。知っていました?
雇用における年齢差別禁止法っていうのがありますから。
厳しくもあるかもしれませんが、羨ましいシステムです。
EU諸国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニューランドで導入されています。
将来的に日本にも導入れたらいいな、なんて思います。
どうでしょうかね。





【2008/02/18 01:08】 NAME[KEN] WEBLINK[] EDIT[]
楽じゃないですよ
自分が名古屋に出戻ったのは40歳の時ですよ。
商売がフリーランスのライター兼プランナーなので、東京で爪に火を灯す
ようにして、家内と一緒に稼ぎ貯めたお金で住居兼事務所を購入。
両親との同居は生活時間帯が違いすぎるので避けました。
転居してきて3年目には、年寄り二人の一戸建て住まいじゃ不用心なので、
両親を我が家から車で5分チョイの分譲マンションに引っ越しさせました。
頑迷なバカ親の我が儘で、最上階角部屋なんて最高価格帯の物件を買った
おかげで、サラリーマン時代の蓄えを全部吐き出しちゃいましたよ。

自営業ですから就職の苦労どころか、新規の得意先を探さなきゃいけない
んで、毎日が地獄でしたねェ(って、今も大変なんスけど)。
ネットが普及してくれたおかげで、既存客の仕事もいくつかは持ってこら
れたけれど、営業という「お金にならない努力」をあてもなく続けるしか
ありませんから、もはや無間地獄でした。
それでも捨てる神あれば拾う神ありで、なんとか生活基盤を築く事ができ
たのは、地域社会に溶け込む努力があったればこそ。

名古屋ってのはご存知の通り、大いなる田舎で排他性が強い土地柄。
どんなに優れた最先端技術でも、どんなに安くても、一見さんとは簡単に
取引してくれません。信頼と実績がモノを言う街です。
悪く言えば地縁・血縁・紹介(=コネ)が必要なんです。
その代わり、一旦取引が始まれば少々割高でも、「まぁ、○○さんトコで
お世話ンなっときゃエエがね」と鷹揚に構えていてくださる。
そこに至るまでがこれまた大変で、見積もり段階で値切る、契約段階で
値切る、そして支払い段階で「百円単位は丸めてチョーよ」と値切る。
これを尾張名古屋ならぬ「値切り名古屋の3度攻め」と揶揄する人もいる
くらい、値切りまくってくるんだから(笑)。
石橋を叩いて渡るどころか、石橋を叩いて壊してみんなも渡れなくする。
グローバリゼーションなんてクソ喰らえって感じですよ、マジで。
そのおかげで、バブル崩壊の直撃弾を被弾せずに済んだのでしょう。
ちなみに愛知県は国から地方交付税を受け取っていません。

KENさんは「男の恥」と「女の恥」を考えた事あります?
町内会で雨水用水路掃除に駆り出されるんですが、当然参加は半強制。
参加しなかったら、陰で何を言われるか、たまったモンじゃない。
渋々ながら早起きして、夫婦でドブ掃除に行くわけですよ。
その掃除の際におばちゃん達が言うんです。
「大黒柱の旦那衆にドブ泥掻きなんてみっともない仕事はさせられない。
 女衆と子供衆がドブ泥掻きの担当して、旦那衆は申し訳ねゃーけど、
 集積したドブ泥を土嚢に詰めて積んでちょーでゃーね」。
そう言われたら、旦那衆は「重いし臭いからヤダ」とは言えない。
ドブ泥掻きは大変そうに見えるけれど、実際はザリガニやドジョウが
出てきたり、小銭が沈んでいたりして、か~な~り楽しい(笑)。
だが、女子供に頼られた仕事を断るようじゃ、男の沽券に関わる。
で、男をうまくおだてて都合良く操れないのは女の恥なんです。
これを男尊女卑だとか、男性蔑視だなんて騒ぎ立てるようじゃ、田舎
では暮らせない。

それと、女性の裸に不寛容なのは女性達自身ですよ。
女衆裸祭りなんて開催しようもんなら、女性市民団体とやらがシーシェ
パードばりの剣幕で乗り込んで来ちゃうでしょうなぁ。
神代の昔には、天宇受賣命(アメノウズメノミコト)がトップレス&
女性器まで見えるアルティメットローライズの裳で踊り、八百万の神々
が大ウケにウケたって伝承が残ってますね。天の岩戸の物語ですわ。
各地の郷土史や風土誌などの資料を見ても、日本は裸や性に関しては、
男女に関係なく、かなり寛容でしたよ。
明治政府の西洋文明導入による近代化で、西洋の価値観まで持ち込んだ
のが第一次裸弾圧で、第二次裸弾圧は言うまでもなく終戦時です。

欧米の雇用システムは一見すると実に公平でありがたい様に見えますが、
反面、企業側の求める人材に自分がマッチしているかどうかわからない。
日本でも男女雇用均等法のおかげで、女性事務員しか採用する気がない
会社なのに、男が応募しちゃって、結局は不採用の無駄足を踏まされる。
見た目は合理的で平等なんでしょうけど、実際は不合理極まりない。
求職者にとって不合理ってよりも、不条理ですよ、コレ。

-追記-
美浜の裸参りは「虐めの連鎖」で続いているんじゃないですよ。
毎年々々、チ●コ見られて恥ずかしい思いをしているんでしょうが、
性的陵辱を受けているって意識はないそうです。
嫌だ嫌だと思っていても、渋々でも嫌々でも「地域の世代間扶助」って
大義名分、錦の御旗の下、地元若衆全員で身代わり禊ぎをするのだから、
精神的昂揚感と一体感も生まれるんですな。ドブ掃除と一緒だ(笑)。

KENさんはご自分でもおっしゃっているように「頑固な律儀者」だから、
出歯亀する時はご自分も裸になるン?(覗きなんてしないだろうけど)
すっぽんぽんで覗きしてる律儀者の出歯亀って……、想像しただけでも
腹筋がブチ切れそうなほど滑稽な姿だなぁ(笑)。
【2008/02/18 03:58】 NAME[YASU] WEBLINK[] EDIT[]
無題
よく言った!
何だこの反論している気持ち悪いオカマ野郎は
こんな奴は削除しろ
男女平等は時代遅れ
これからは男尊女卑の時代だ

気持ち悪いフェミババアとオカマ臭いメンリブは死刑にしろ
【2009/11/12 04:10】 NAME[男女差別全肯定論者] WEBLINK[] EDIT[]
過激だなぁ
コメントありがとうございます。
しかし、チィとばかしお言葉が過激過ぎますな。
男女差別や男尊女卑って言葉には、異常なまでに過敏に反応する
方々もおられるので、直截な表現でのコメントは御免蒙りたい。

自分が言うところの性差は、男が女を思いやり、女が男を引き立てる、
ってな意味合いでの性差です。差別とか蔑視とかとは懸け離れてる。
まぁ確かに台所勘定の主婦感覚で国家運営をしてもらったンじゃ困るし、
最高裁の決定をないがしろにする女性法務大臣もいるので、お怒りも
ごもっともだとは思います。てか、自分も腹立たしい。

腹立たしいことばかりの昨今ですが、良きこともありますよ。
なんだかんだ言っても、我が日本国では道端に行き倒れが死んでる
なんてこたぁ滅多に無いし、蛇口を捻れば清潔な飲料水が出てくる。
選り好みをしなければ、とりあえずの飯を食うくらいの銭は稼げる。
男だ、女だ、差別だ、格差だと騒いでも、それは日本が平和だから
言えることで、自分はつくづく日本人でよかったと思ってます。
(この先、どうなっていくかはわかりませんが……)
【2009/11/12 09:21】


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HN:
YASU ・居眠釣四郎・眠釣
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自己紹介:
釣りと動物と時代劇、時代小説をこよなく愛する、腰は低いが頭が高い、現代版「無頼浪人」にて候。
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